19.

「変えられないこと。でも、あなた自身が、傷を無くす。」
 ヘクトールはナズィーラから視線を外した。
「私自身は、醜い傷のあることに慣れるだろう。でも、見る人は? ……母でさえ! ……この顔から目を逸らして、二度と見ようとしない!」
と叫んだ。そして、憎々しげに続けた。
「コンラートさまも奥方のマティルダさまも、縁談は無かったことにしようかと持ち掛けた。大公さまは絶句した。父公さまも、一瞬だが怯んだ。」
 彼は言葉を切り、苦しげに
「会う人は皆、驚き、そして、私に気を遣う。もう……誰かを不愉快にさせるのは嫌なんだ……」
と呟き、嘆息した。
 彼女はゆっくり息を吐き
「ヘクトール……、あなたは醜い傷のある人を見て、不愉快だと思ってきた?」
と問いかけた。
 一呼吸置いて、彼は
「……いや。」
と小さく答えた。
「気の毒だとは思ったでしょうけど、不愉快だとは思わなかったでしょ? だったら、皆同じこと。あなたが、見る人は不愉快だろうと決めつけているだけ。皆をそんな風に、見た目だけにとらわれる心の浅い人だと思うのは、間違い。」
「……君の姉さまは?」
「ファラーラは、あなたの傷なんか気にしちゃいなかったよ。彼女は……ずっと前から好きな男がいただけ。」
 彼はだしぬけに笑い出した。
「とんだ笑い話だ! そんな話、信じると思うか?」
「だって本当だもの。父さまのご近習よ。」
「きれいな男なんだろうね。」
「全然。毛むくじゃらの大男。でも、誠実な人。」
「そうか……」
 彼は考え込んだ。何を言うのか待ったが、黙り込んだままだった。

「今日は……いい天気。都はずっとどんより曇っていたけれど、今朝はお日さまが顔を出した。」
 ナズィーラは、閉ざされた分厚い緞帳をほんの少し開いて、板戸を開けた。柔らかな晩冬の陽光が部屋に射し込んだ。
 ヘクトールは窓を見つめた。彼女は、閉めろと怒るかと身構えたが、彼はそうはしなかった。歩み寄り、彼女の右に立った。
 そして、緞帳を大きく開くと
「ああ、庭はこんなに美しかったか。雪がきらきらしている。」
と言って、眩しそうに眺めた。
 彼女が見上げたすぐそこに、火傷痕があった。陽のもと、赤く爛れ、引き攣れた様子がありありと晒されていた。
 彼が彼女に目を向けた。澄んだ碧い瞳に、困ったようでいて、照れくさそうな色があった。
 彼が何か言おうとするのを、彼女は遮った。
「私を見て。その……ちょっと変わっているでしょう? 美しい父さまや姉さまとは、全然違うのよ。美しくないの。母さまは可愛いけれど、私はそれとも違う。どうしてなのかしらねえ。鬼っ子というやつかな?」
と笑いかけると、彼も軽く笑った。
「すまない。笑ったりして。君は……面白い顔をしている。ああ、また……ごめん。母上が可愛がっているセリカの小犬みたいだ。……知っているか? 白鳥は美しいが、声は酷いんだ。ひばりは茶色い目立たない鳥だが、とても美しい声で啼く。……どちらが優れているかなどは、誰も考えないね。」
「父さまは、私を“ひばり”って呼ぶの。」
「父公さまは相応しく君を呼ぶ。」
「私を見て、不愉快?」
「全然、そうは思わない。」

 ナズィーラはヘクトールの傷に手を伸ばした。彼はびくりと震えたが、彼女の手を振り払うことはしなかった。
 彼女は傷を撫で、背伸びすると、頬を触れさせた。
「あなたは、その傷さえ覆い隠して余りあるものがある。心の柔らかな優しさが、あなたの顔。」
 彼は微笑んで、彼女の丸い鼻を指先でつついた。
 しかし
「今日は帰ってくれ。」
と辛そうに言った。
(窓辺に立って、楽しそうにしていたけれど……やっぱり辛い思いをさせたのね。)
 ナズィーラはしゅんとして、踵を返した。こっそり振り返ると、ヘクトールは窓の外を眺めていた。

「また来てくれ。」
 意外な言葉に驚いていると、彼は
「君と話すと落ち着く。穏やかな気持ちになるんだ。」
と言った。
 いつか聞いた言葉だった。だが、以前と違った響きがあった。
 縋り付くような哀しさではなく、他意のない親しみだった。
 ナズィーラは胸の高鳴りが抑えられなかった。



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