17.

 その翌日、トゥーリはヘクトールの屋敷を訪ねた。
 ヘクトールと共に、父親のマグヴィ卿も当然同席しており、実に気まずかった。
「今度の話、お断りに参りました。」
とだけ伝えた。
 二人は深いため息をついたが、苦笑し
「父公さま御自らご足労いただき、いたみいります。お気を使わせてしまいました。」
と言った。
 何故断るのか、理由を訊かないのが、トゥーリには切なかった。
 彼らの思っている理由ではないのだと言いたかったが、言い訳じみている。信じないだろう。
 信じたとしても、ナズィーラの言ったように全否定されたと思うのも困る。アマラードのことも言いづらい。
 問いただされないことに甘えて、言わないでおいた。

 トゥーリはすぐに退出したかったが、小姓が菓子を持って現れた。
「どうぞ。珍しい菓子でしょう?」
(こんなの……。腹具合が悪い……いや、元気そうに現れて、それは通用しないな。……宗教上の理由で食えませんとも言えんな……。菓子食って、何を話せと? この父子、おかしいんじゃないの……?)
 トゥーリは舌打ちを押し隠した。黙りこんでいればいるほど、居心地が悪くなる。しかし、不用意なことは言えない。
 当たり障りのない話題にしたいと、見慣れぬ菓子を眺め
「初めて見ました。木の実ですか?」
と尋ねた。
「ええ。巴旦杏を蜂蜜で包んだものです。フルムの菓子で、ドラジェといいます。」
 マグヴィがにこにこしながら答えた。
「きれいな桃色ですね。」
「ええ。我が家では、事あるごとにこれを作らせます。息子が生まれた時は、青色のドラジェを、上の息子が結婚した時は、桃色のドラジェをたくさん作って、町方にも振舞いましたよ。」
「そうでしたね。兄上の時は、前の前の朝から、厨房が大騒ぎだった。」
 何でもないように、マグヴィとヘクトールは微笑んでいる。
 要するに、慶事に作る菓子ということだろうと、トゥーリは暗澹たる思いがした。よりにもよって、下手な話題に手を出した。背中に変な汗が噴き出したが、押し隠してかりりとかじって
「香ばしくてうまいですね。」
と言った。
「お気に召してよかった。」
 これは、縁談が成立することを見越して用意していたのではないかと思い、破談になった腹いせに出したのかと読んでみたが、二人とも、何も含みのない様子でにこにこしている。思いすごしだと自分を恥じた。
 二人は
「どうぞ、どうぞ。たくさんあります。」
などと言って、勧める。
 トゥーリは、延々と菓子を食べ続けるしかなかった。
(味などわからん……。拷問。)

 食べ残したドラジェを大量に持たされ、解放された。先程は否定したが、もう意趣返しとしか思えなかった。
 帰り際に、ヘクトールは分厚い立派な本を一冊抱えてきて、トゥーリに手渡した。
「これをナズィーラさまに。差し上げます。」
 本は、“イリアス”という題名がついていた。
 不思議なことをすると思った。どういうつもりだろうと、トゥーリはヘクトールの顔を見つめた。
「先日、この本を見せると約束したのです。」
 あっさりそう言う。特に意味もないようだった。
「そう。」
 本を受け取り、踵を返すと
「ファラーラさまには、お健やかにとお伝えください。」
と声がかかった。
 トゥーリはハッとして振り返り、ヘクトールの顔をまじまじと見た。
 まっすぐ見返す碧い瞳は静かだった。他意はなく、本心で願っているようだった。
 刺々しいことを言われた方がずっと楽だ。高い家門の一員であるから、いずれ相応しい相手と縁づくだろうが、その相手が心ある者であることを祈らずにはいられなかった。


註  フルム:ローマ。


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