15.

 夜のことだった。
 ファラーラが一人の青年を連れて、トゥーリの寝間を訪ねて来た。
 彼は、都までトゥーリに付き従ってきた近習のアマラードだった。彼は跪き
「尊きシークに、申し上げたき儀がございます。」
と言って、額を床につけた。
「なんだ、かしこまって?」
 アマラードは、ファラーラとトゥーリの顔を交互に見た。
「シークの姫君、ファラーラを私の妻にいただきたいのです。」
 トゥーリは一瞬絶句したが、笑い出した。
「世迷い事を申すな。」
 若い二人は顔を見合わせ頷き合い、ファラーラが口を開いた。
「ごめんなさい、父さま。私、ヘクトールとは結婚しないわ。ずっと前から、アマラードと……。彼が好きなのよ!」
「何を……。お前は、承諾すると申した。舌の根も乾かぬうちに、二言するのか?」
「……結果として、そうなるわ。」
 父の瞳がぎらりと光った。
「ならん! ずっと前? いつからそんなことになっておった?」
「都に来るずっと前よ。半年くらい前。」
「先に言えよ! こんな時になって……」
「父さまには言えなかったのよ。ほら、最初の恋人の時だって、次の男の時だって、父さまはごちゃごちゃ言ったじゃない!」
「それは、お前……最初の男は、お前同様、まだ子供みたいな歳だったし、次のは、たいしたこともできないくせに大口叩く奴だった。親父なら、反対するわ!」
 確かにそうだったと、彼女も自覚していた。ぐっと言葉を飲んだが
「だけど! アマラードはそんな男じゃない。」
と言った。
 今度は、トゥーリの方が、確かにそうだと思った。アマラードはちゃんとした男だ。
 だが、ひとつ気づいたことがあった。アマラードは、都に同道する当番でもなかったのに、わざわざ同輩と代わってついてきたのだ。
「おい、アマラード。お前、無理してついてきたよな? どういうつもりか? ……強引な手段に及んで、何とかしようとしたのではないだろうな?」
 下手すれば、殺されると思うような目だった。アマラードは竦んだが、勇気を振り絞り
「そのようなことは、考えてもおりません。ただ……ファラーラと一緒にいたかっただけ。縁談と聞いて……お相手は高貴な方。おそらく嫁ぐことになるだろうと……。一緒に過ごせるのは最後だと思ったら、居ても立ってもいられなかったのです。」
と言った。
 トゥーリは、その言葉にハッとした。
 最後にひとつだけの思い出がほしい。好きな女のすることは、自分には望ましくないことでも、全て見届けたい。
 遠い日に、彼も同じように思ったことがあった。それだけに、許せなかった。
「……ファラーラ、控えに下がっておれ!」
 ファラーラは、父の気迫に反論することができなかった。アマラードが促すと、切ない目を彼に向け、やがて控えに下がった。

 二人だけになり、何を話すのかとアマラードは身構えた。しかし、トゥーリは何も言わない。
 いつもの、可笑しなことばかり言って自分を笑わせるシークでも、寛大なシークでもなかった。見たこともない敵意丸出しの目を向けていた。
 彼はひとつ身震いをし
「私は……ヘクトールさまのような身の上ではありませんが……あの方よりもファラーラを愛しています。ファラーラも。幸せにできます。シークがなさってきたように、充分にファラーラを守っていきます。」
と堂々と述べた。
 それはアマラードの正直な気持ちだったが、トゥーリの表情はますます険しくなった。
「どうか! シークにご安心いただけるように努めます。私に嫁がせてよかったと思し召していただけるように……」
 トゥーリの頬がぴくりと引きつった。
「よう申した! そこへなおれ!」
 アマラードは黙って平伏した。
 トゥーリは、彼の髪を掴み上げると、その首元に短刀を当てた。
「死んだことある?」
 可笑しな質問だったが、そんなことに気づく余裕はなかった。
「いえ……」
「俺もない。死んでみる?」
 アマラードはごくりと唾液を飲み下し、横目でトゥーリを見た。緑色の瞳が、ぎらぎらと睨んでいた。激しい殺意がこもっていた。
「最期に、ファラーラの……」
 言い終わる前に、刃が反らされた首を撫でた。アマラードは目を閉じた。
 刃が首を行ったり来たりして、撫でている。求婚を撤回するのを待っているのではないかと思えたが、彼は死んでも撤回するものかと唇を噛んだ。



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