14.

 トゥーリは、自らヘクトールの屋敷に赴き、断りを告げることにした。
 ファラーラはあれ以来、顔を合わせることも拒否して、自室に籠りきりだった。
 彼は、今日も出てこない娘の部屋の扉に向かって
「断ってくるからな!」
とひとつ怒声を挙げた。
 すると、隣の部屋からナズィーラが顔を出した。
「ヘクトールのところへ行くの?」
「ああ。お前の馬鹿姉貴は、自ら断りに行く勇気はないからな。当人が行くっていうのは聞いたことがないが……。ほら、人づてにするのも、ヘクトールの気持ちを考えると……わかるだろ?」
 しんみりした口調だった。父の言わんとすることはよくわかった。
「でも……気を使い過ぎるのも、どうかと思うわ。」
「素っ気なく断りを入れたら、顔のことが理由なのだと思うだろ? あいつ、気にしていたんだから……暗闇で見合いをするくらいにね。誠意を持ってせねばならん。」
「“顔じゃないんです”って言うの?」
「まあ……そこは強調するかな……」
「じゃあ、中身なのかと思うじゃない? 下手したら、全否定されたと思われるよ。」
 父は考え込んだ。
「それは……俺の舌先三寸の才能を生かすしかないな。」
「ダメ、ダメ。父さまは嘘つきだけど、本当の嘘はつけないんだから。私も行く!」
「褒められているのか、貶されているのかわからん……。お前が来たところで、大した援けにはならん。」
 そう言って、深いため息をついた。

 出がけに、ファラーラが現れた。
「父さま……行かなくていいわ。」
 青白い顔をしていた。考え込んでいたのだと思わせる憔悴具合だった。
「何故?」
「……今度の話。私、ヘクトールに嫁ぐ。だから、断りに行かなくてもいい。」
「この間は、絶対に嫌だと申したが?」
「気が変わったのよ。」
「すぐ変わる気だな。」
 ファラーラの目元に癇が走った。彼女は
「何よ! 父さまの思うように気が変わったんだから、喜んだらどう?」
と大声を挙げた。
 トゥーリは涼しい顔で
「ああ、嬉しいね! お前の気の変わりようが不気味で、何を思ったのか聞かせてもらえるかと思うと、嬉しくて身震いが出るよ!」
と言い返した。
 ファラーラは鼻に皺を寄せ、父を睨んだ。
「で? どうして結婚を決めたのか、話せよ。」
「ヘクトールは私と結婚したら、ジェールの侯爵の位を得るから。」
 途端に、トゥーリの表情が険しくなった。
「お前と結婚するから、ジェールを与えられるわけではない。」
「そうかもしれないけれど、私がジェールの奥方になれば、父さまには願ったり叶ったり。」
「……どういう意味で申しておる?」
「ジェールは、草原から都へ入る間の重要な土地でしょ。そこに親しい主がいれば、父さまはずっと気楽になる。……ロングホーンの公女だった母さま、大公さま、次はジェール。父さまは着々と都を抑え込む材料を得ていくのよ。」
 トゥーリは低い声で
「……お前、娘でよかったな。息子なら、正体を無くすまで殴りつけているところだ!」
と凄んだ。
 ファラーラは、父の物騒な様子に怯んだが、負けじと
「殴れば? 二目と見られない顔になって断られたら、父さまの計画が台無しになるわよ? できないわよね!」
と言い放った。
「ああ、そうだな! こんな悪魔みたいな深読みをする女、顔形を損なったら、嫁に欲しがる男などあるわけがない。親父の最後の情けだよ。」

 はらはらしながら父と姉のやり取りを見ていたナズィーラが、やっと口をはさんだ。
「父さま、ファラーラに酷いこと、しないで! ……ファラーラも。父さまがそんなこと考えていると思うの?」
「この馬鹿娘を殴ったところで、性根が改まるとも思えんわ! 殴る方こそ痛いんだ。無駄なことはしない。」
 父がそう嘲ると、娘も
「父さまはどうせ、望外にいいことになったとほくそ笑んだだけでしょ。最初から企むような頭はないわよ!」
と言って、鼻で笑った。
「なんだと!」
 父が一歩娘に近づいた。ナズィーラが慌てて止めた。
「まあまあ……父さまは女を殴るような男じゃないわよね? ファラーラも、ちょっと言い返し過ぎ。……それで、どうするの? 私は、今日は行かない方がいいんじゃないかと思う。」
「そうだな。ころころ気の変わる女の言うことだ。もうしばらく様子を見ねば、相手に不愉快な思いをさせる結果になる。」
「失礼ね! もう変わらないわよ!」
「そうならいいがね!」
 父は近習に、用意した馬車を返すように命じ、ぶつぶつ言いながら奥へ消えた。

 ナズィーラはファラーラを覗き込み
「どうするの? もう……いいの?」
と尋ねた。
 ファラーラはじっと彼女を見つめて
「ええ……」
と答えた。
 しかし、ナズィーラには、姉の心がまだ揺らいでいるようにしか思えなかった。
「父さまはファラーラを愛しているから、気持ちが高ぶるのよ。」
「そうかもしれないわね……。父さまは奥?」
「厩舎じゃないかしら?」
「ああ、父さまは落ち込むと、馬と話すわよね。愚痴を聞かされる馬もいい迷惑。」
「“俺の気持ちをわかってくれるのはお前だけだよ”ってね。今頃“ファラーラが俺に酷いこと言うんだ”って話しかけているよ。きっと、父さまの馬は、母さまと私たちを極悪人だと思っている。」
 二人の娘は笑いさざめいた。
 ナズィーラは、言いにくそうに
「ねぇ……もう少し、話し合ってみたら?」
と姉に勧めた。
 ファラーラは
「もう話すことは尽きたの。」
と言った。苦しげだった。



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