13.

 ようやくファラーラの体調が回復した。
 父は、ヘクトールが毎日のように書状を寄こしたこと、ナズィーラから聞いたひどく心配している彼の様子を話し、訪問するように勧めた。
 彼女は受け入れ、妹と共に出かけた。
 ヘクトールは小躍りするほど喜んだ。しばらく三人で楽しんだが、ナズィーラはいつもしない気遣いをして、二人が主に会話できるように控えていた。
(ヘクトールはファラーラが好きなのだから……。本当に楽しそうに、嬉しそうにしている……。)
 嬉しかったが、どこか寂しかった。寂しさを直視するのは嫌だった。ことさら、陽気におどけてみせ、二人を笑わせることに努めた。

 数日後、ヘクトールの家から正式な求婚の申し込みがあった。
 ナズィーラは、ずっと彼が悩んでいたのを見ていたから、彼が決心できたことに安堵した。しかし、心が重く沈むのを抑えることはできなかった。
 トゥーリは、申し出を受け取るだけに留めた。
 ファラーラは積極的に望んでいる風ではなかったが、はっきりと拒否したこともない。彼女に異存はないのだろうと、彼は思っていた。都の慣例に従っただけのことだった。
 父は娘を居間に呼び、申し込みのあったことを告げた。
「どうか?」
 ファラーラは眉根を寄せて考え込んだ。トゥーリはその様子をじっと見つめた。
「嫌なのか?」
と尋ねると、彼女は俯き
「……はい。」
と答えた。
「理由は? どこが嫌なのかな?」
 彼女は答えられなかった。かろうじて
「どこといって……説明できないわ。」
と答えた。
「女特有の生理的にダメってやつか? だったら、最初に会っておしまいだろう? 何度か会っているんだ。納得できんぞ。」
 ねめつけられて、ファラーラは竦んだ。父を納得させられる理由は言うことができなかった。
「穏やかな気性の男だ。教養もある。申し分ない。それはお前も認めたことだ。」
「はい……」
「難点は顔の火傷か……。若い娘は気にするのかもしれんが、補って余りある美点が多い。愛せないことはないだろ?」
 父の言う通りなのだ。ヘクトールとなら、穏やかな結婚生活を送ることができるのは想像に難くない。
 ヘクトールに嫌悪感はない。むしろ好感がある。彼になら、愛情を持つこともできるだろう。
 でも、ダメなのだ。ファラーラは唇を噛んだ。
「……愛せません。」
 ようやくそう言うと
「何故? さっぱりわからん。無理強いしないと言ったが、どう考えても、お前は火傷痕の印象にこだわって、ヘクトールの美点を見ようとしていない気がする。それはよくないことだ。」
と窘められた。
 黙っていると、父は
「あれが生まれつきだというのならまだしも、不幸な事故の結果だ。我が娘が、そんな情の冷たい女だとは思いたくない。……もう少し、親しく交際してから答えを出すかな?」
と言った。
「……いえ、お断りして。どんなに交際しようと、気持ちは変わらないから。」
 父のまなじりが上がり、怒声がとんだ。
「さっきから! ふわふわしたことばかり申すが、要するに顔なんだろうが!」
 怯んだが、向こうっ気が湧いた。
「そう思いたければ、そう思えば? 父さまはヘクトールを気に入っているんだから、どう言ったところで、強引に進めるのに変わりないでしょ!」
「強引? 何が強引だ。お前の意見を聞いているだろ!」
「ええ、そうね! 耳に入れて、もう一方の耳から出しているだけ。それを聞くというなら、聞いているってことね!」
「うるせえ! 屁理屈言うな! あんな小傷、何が気になる。度量の小さい女だな!」
「父さまこそ、火傷痕を気にしているんじゃない。顔、顔って。こだわっているのは父さま! そんなによければ、父さまが結婚すれば?」
「ああ、ああ! お前の代わりに、俺が嫁入りするさ。生意気ばかり言いやがって! もういい! 寝込んでおれ!」
 ファラーラは挑戦的に顎を上げて父を睨むと、ぷいっと出て行った。

 トゥーリは、強権的だったと後悔したが、すぐに断りを入れるのは気が進まなかった。ヘクトールが、自分の顔のせいで断られたと思うかと、不憫でしかたがなかった。かといって、嫌だというファラーラに無理強いするのは、もっと不憫だ。
(それほど酷いか……? まあ、初めて見た時は俺も怯んだし、若い娘には厳しい容貌なのかなあ……。)
 トゥーリは、若い娘の気持ちになって考えようとしたが、容貌よりも内面の好ましさばかりが思い浮かび、余計にファラーラに対して腹が立っただけに終わった。
 “愛”と“好ましさ”の間には、隔たりがある。その隔たりの大きさは、各人で違う。考えたところで、感じるという性質である以上、絶対に理解できないのだ。



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