8.

 クルジェの皆は、もうユーリは帰ってこないのだ、逃げ出した先の森ででも殺されているのだろうと諦め、エレナによくよく諭した。
 エレナはまた嘆きくれる毎日を過ごすこととなった。

 そんなある日、クルジェの館を訪ねてきた者があった。
 ヴィダルだった。憔悴している様子だ。
 エレナは驚き、また喜び
「あんた……今までどうしていたの?」
と尋ねた。
「お嬢さま……。話せば長いんだが、あの後俺は礼拝堂に行ってね。」
 彼は礼拝堂に怪しい風体の者がいたこと、斬られて川に落ちたことを話した。彼女は驚きの声を挙げた。
「それでさ……川原に流れ着いたのはいいんだけれど、動けなくて。死にかけているのを百姓に助けられたんだよ。神さまに感謝しなくちゃね。……そうは言っても、身体に一向に力が入らないから、ずいぶんとその百姓には世話になったよ。結局、俺は肩がすっかりとは上がらなくなってしまったんだけれどね……」
 彼は苦笑して、肩を上げて見せたが、半ばまで上げるとそれ以上は無理で、顔をしかめた。
「まだ痛むの?」
「いや、そうじゃない。情けないから……」
 悔しそうな様子に、エレナは目頭が熱くなった。
「でも、あんたが生きて訪ねてくれて嬉しいわ。長旅で疲れたでしょう? 歓迎するから、ゆっくりしていってちょうだい。」
 エレナが、ヴィダルの部屋と食事を用意させようと立ち上がると、彼は彼女の腕をつかんだ。
「何?」
 彼女は中途半端な格好で立ち止まり、彼の顔を見た。

 ヴィダルの表情は真剣そのものだ。周りを見渡し、エレナのすぐそばまで歩み寄ると
「実はね……リオネルさまは、生きておられるかもしれない。」
と囁いた。
 彼女は挙げかけた叫び声を呑み込んだ。
 ヴィダルは、礼拝堂で見た光景を語った。
「釘打ちした棺の蓋を開けるなんて、あり得ない。遺骸を欲しがる人間もいない……」
 そう言って、彼はじっと彼女を見つめた。
「でも……フランクの国では、謀反人の骨をお守りにするとか聞いたことがあるわ……」
「何を阿呆なことをおっしゃる! 骨なら、焼かれてからの方が取りやすいでしょう? 第一、フランクの変な風習なんか、この国の誰がするって言うんです?」
 エレナは唇を噛んで、ヴィダルを見つめ、次に何を言うのか身構えた。
 彼はますます声をひそめた。
「それでね……俺を襲った奴ら、変な訛りがあったんです。」
「……どんな……?」
 彼はすっと近寄り、彼女の耳に
「マラガ訛り。」
と囁いた。
 エレナはヴィダルの顔をまじまじと見た。
「それは……」
と言ったきり黙ると、彼は
「オクタヴィア王女の……」
とだけ言った。
「でも、死んだって……医師も役人も確かめたのでしょう? あの人が運び出したとしても、どうやったの?」
「それはわからないけれど……。王女さまの気が狂っているとしても、さすがに死骸を盗もうなんて、周りが止める。俺は生きているとふんだよ。きっと何かやったんですよ!」
「……生きている……?」
 エレナはぼんやりと呟いた。
「ええ!」
「オクタヴィア王女のところに?」
「おそらくね。」
 エレナは考え込んだ。やがて、緑色の瞳を煌めかせ
「マラガにいるの?」
としっかりした声を出した。
「……マラガに行ったのか、まだシビウにいるのか……。まずは、シビウにまだ王女さまがいるのか確かめればいい。」

 エレナは部屋を飛び出した。
 ほどなく、村娘のような格好で戻ってくると
「ヴィダルも一緒に来て!」
と言った。
 彼は眉をひそめた。
「リオネルさまを取り戻すおつもりですか?」
 そうしたいところだが、取り戻したところで、リオネルは死んだことになっている。表に出せない。
「そうできるなら……。とにかく行って確かめてみたいの。」
 それは、ヴィダルも同じ気持ちだった。

 その時、エレナの両親が部屋に入ってきた。
 父親はヴィダルに目を向け
「そなたは……悪いが、あるべき場所に帰ってくれ。」
と言った。苦しげだった。
「お父さま。私、行かなくてはならないところがあるの。ヴィダルには伴をしてもらう。」
「それはいけない。許すわけにはいかないよ。」
「どうしても行きたいのよ!」
 父親は辛そうにため息をついて、母親と顔を合わせた。母の表情も沈痛だった。
「とにかくならん。」
 断固とした物言いだった。温和な父の厳しい言葉と表情に、エレナは抗弁するのを止めた。
 彼は、ヴィダルに
「そなたはレニエの者だろう? 今、レニエがどうなっているのか知っているのかな?」
と言った。
「いえ。私はしばらく離れていましたから……」
「そうだろうね。知っていたら、こんなところでのんびりしていられないだろう。」
「何が……?」
「レニエは王家の軍勢の制圧下にある。」
「……何故?」
「王さまの代官をことごとく拒否したんだ。そればかりか、遣わされたルーセさまを吊るした。」
「ええっ!」
 ヴィダルもエレナも驚愕した。父は気の毒そうにヴィダルを見て続けた。
「王さまの怒りをかうとわかっていただろうに、愚かなことをしたものだよ。謀反人の主と反抗的な領民、レニエはけしからん場所だと、王さまの頭に刻まれてしまっただろう。」
「けしからん? おおかた、王さまがごり押ししたんでしょう? レニエは無理強いを受け入れる土地ではありませんからね。」
「どうだか知らんが、そなたはレニエに帰り、エレナはここにいるのだ。わかったね。」
 ヴィダルは考え込んだ。エレナはその様子を眺めた。
 やがて、彼は
「お嬢さま、すみません……」
と、ぽつりと呟いた。



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