6.

 エレナのクルジェでの毎日は無為に過ぎた。
 両親を始め、館の者、村の者、皆がエレナを気遣ってくれたが、煩わしかった。
 彼女は館の部屋に籠ることが多くなり、ぼんやりとしているばかりだった。
 ユーリが心配して、たびたび訪ねてきたが、彼女の気を晴らすことはできなかった。
「エレナ、外に出たらどうかな? あれから村はずいぶんとマシになったんだ。見違えるほどとは言えないけれど……。見に行ってごらんよ。」
 ユーリが何度も勧めると、エレナはしぶしぶ従った。
 村は、ユーリが言う通り、活気を取り戻しつつあった。村人の表情も豊かだった。彼女はホッとし、微笑んだ。
 しかし、それも一時で、すぐに表情が曇った。俯いた彼女に、ユーリが
「どうしたの?」
と尋ねた。
「思い出したの。あの後、村を整えようとしていたこと。助けてくれた人のことを。」
 そう言って、彼女は落涙した。
(レニエさまのことを……)
 彼は悔しい思いがしたが、ぼんやりしていた彼女の感情がようやく露わになったのはいいことだと思った。たとえ、それが哀しみであってもいい。
「泣くといいよ……。胸にしまいこんでいると辛いばかりだから。」
「いいえ。せっかく皆が明るい顔をしているのに、私が嘆きくれているのを見せるのはいけない。」
「そんなこと……俺も父ちゃんが死んだ時、わあわあ泣いたじゃないか。散々泣いたら、楽になったんだ。変なんだけれど、気が晴れて仕事に精を出す気になった。きっとエレナもそうだよ。」
 ユーリは微笑みかけた。エレナはぽろぽろと涙を落とし
「ユーリは……優しい。優しすぎるよ。」
と言って、彼の胸に額をつけ号泣した。
 彼は抱きしめたく、そうしかけたが、彼女の髪を撫でるだけに留めた。
 そうして、エレナはユーリと村を訪ね続けた。最初は気遣っていた村人も、気さくに話しかけてくるようになった。エレナの表情も多少明るくなった。
 ゆっくりと穏やかな回復の毎日が続き、季節が過ぎて行った。

 ある朝、いつも誘いにくる時間になっても、ユーリが来なかった。
 一人で出かけてもいいのだが、何の言伝もないのが気にかかった。
 城の者に尋ねても、ユーリのことを知る者はいなかった。
「村に帰っているのでは? 母親一人でいるんだ。様子を見に行ったのではありませんか? きっと、そうでしょうよ。」
 皆、いぶかしく思うでもなく、そう答えた。
(そうかしら? 私が帰ってからずっと、ユーリは村に帰ることなどなかったけれど。私が落ち着いたようだからと、帰ったのかしらね。)
 エレナは少し考えて、ユーリの母親にしばらく会っていないことを思い出した。子供のころから、よくしてくれた母親だ。
 彼女はちょっとした菓子を用意すると、村に出かけた。

 ユーリの家は、先に崩れた山から離れた、村の外れの方に新しく建てられていた。森のそばの二・三軒のうちのひとつだ。
 母子二人の小さな家。柵で囲われた庭に小さな菜園があり、苦菜が作られていた。鶏が二羽、餌をついばみながら歩いている。静かだった。
(お母さんと大麦畑に出ているのかしら? )
 隣の家では、住人が自分の菜園をいじっている。中で煮炊きをしているらしく、煙が上がっていた。
 エレナは隣の住人に声をかけた。
「ユーリたちは? 畑から帰っていないの?」
「どうかな……今日は見ていないよ。ユーリは昨日の夕方に帰って来たようだな。おかみさんが鶏をしめていたから、どうするんだいって訊いたら、あいつが帰ってくるからご馳走を作るんだって。嬉しそうにしていたよ。」
「そう。」
 エレナはそっと扉を開けた。家の中は薄暗く、ひんやりしていた。
「ユーリ?」
 応えはなかった。玄関先に農具が立てかけられていた。畑に出たのではなさそうだった。
 玄関を入るとすぐ台所だ。かまどに鍋がかけられていたが、火の気がない。
 見渡してみると、土間に置かれた大きな水瓶の陰から、白くて細長いものが見えた。
(すずしろ? )
 彼女は近寄り、覗きこんで絶句した。
 そこには、ユーリの母親が倒れていた。慌てて助け起こすと、着ているものがぐっしょりと血潮に濡れていた。土間には、不吉な大きな黒いしみが出来ていた。
 既に身体は固く冷たかった。
 エレナは思わず手を離した。どさりと遺骸が土間に落ちた。

 エレナの絶叫を聞きつけて、隣の住人が駆けこんできた。皆、言葉を失った。農婦は目を逸らした。
 隣の主人が
「こりゃあ……どうしたことだ……」
と恐る恐る遺骸を観察した。
「ひでえ。胸を一突きだよ……」
 そして、そっと背中に返して見て
「長いもんだ。背中まで突き抜けている。」
と言った。
 農民は長い刃物など持っていない。剣を持てるのは、限られた人間だけだ。
「はぐれ者の不良騎士かな? 盗賊? ……いや、それはねえな。こんな百姓屋、盗むものなんか何もねえ……」
 彼の言う通り、家の中は荒らされていない。別な悪行をされたのではないかと思いついたが、遺骸にそれらしい痕跡もなかった。
 皆、顔を見合わせた。
「ユーリは? ユーリがいない!」
 エレナの指摘に、皆屋内を見渡した。
 奥の寝室を覗いてみたが、そこも荒らされておらず、もちろんユーリの姿もない。皆でよくよく確かめたが、血痕はユーリの母親の倒れていた場所だけだった。
「逃げ出したんじゃ?」
 農婦の言葉に、皆うんうん頷いている。
「そうなら、やがて戻ってくるんじゃないかな……」

 近所の住人は畑仕事も休んで、エレナと一緒にユーリの戻るのを待ってくれた。だが、一向に帰ってこない。
 翌日も、その翌日も。
 森に逃げ込んで、怪我をして動けないのだろうかと皆でしばらく探したが、そういうこともなかった。
 エレナは慎ましい墓に通っては、祈ると共に、ユーリの現れるのを期待したが、徒労に終わった。



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