4.

 王は疲れ果てていた。
 母后からは面罵された。内乱の際に、母后が味方につくように計らった諸侯は白い目を向けた。
 表立って非難する者はいなかったが、リオネルが処刑される前に病死したのは、神々が処刑を許さなかった、つまり冤罪である証ではないかという噂がなされた。
 馬鹿なことを言うなという風を装ってはいたが、王自身も内心、神々の怒りをかうのではないかと案じていた。
 偽の密書の入った文箱を眺めては、後悔ばかりが湧いた。
(偽りごとを真実に作り替えた罪……。ルーセが……いや、彼の話に乗った私の罪か……)
 それでいて、ルーセの伯爵が晴れ晴れとした様子で生活しているのを見ては、苛立ちを禁じ得なかった。

 そんなある日、ルーセの伯爵が
「クルジェのエレナを発見いたしました。」
と報告にきた。
 いかにも気がきくだろうと言いたげな表情に、王は舌打ちしたが、これは好機だと思った。
(レニエの罪滅ぼしに、あの娘を優遇してやろう……。領地を与えて、立派な嫁ぎ先を用意しよう。)
 そう考えて
「連れて参れ。」
と言うと、伯爵は嬉しそうにした。
 勘違いしているのはわかっていたが、それを糺すことも面倒だった。

 やがて、エレナが現れた。
 着飾っている。
 ルーセの伯爵の意図を含められているのだろうと思ったが、当のエレナは媚を売るでもなく、すましている。
「クルジェのお譲さん、久方ぶりです。」
 王が近寄ると、エレナは無表情な目を据えたまま
「お招きありがとう。」
と言った。腰を折るでもない、胸を逸らしたままで、尊大な態度にも見えた。
 王は、無理もないと思った。これ以上恨まれるのはまっぴらだとも思った。
「あなたには……穏やかに暮らしてほしいと思う。」
 途端に、エレナの緑色の瞳がぎらりと光った。だが、何も言わないで、王をねめつけている。
 睨みつけるような若い女を、王は知らなかった。少し怯んだ。
「レニエのことは忘れて、別な幸せを得るといい。便宜を図るゆえ……」
 言いかけたところに、エレナが唾を吐き捨てた。
 ルーセの伯爵がエレナの腕を引っ張り
「無礼者!」
と叫んで、平手で打ちつけた。
 彼女は厳しい顔を上げると、打ち返し
「女衒!」
と叫んで、唾を吐きかけた。ルーセの伯爵は、エレナの襟をつかみ上げた。
「この……!」
「もういい! 止めんか、両名!」
「しかし、この娘……」
「もういいと申した!」
「王さまが幸せにしてくださると言うのに……」
「幸せ? 身を売って得る幸せって何?」
「もうよい!」

 二人は身を離したが、エレナの方は今にも飛びかかりそうだ。
「それで……お嬢さんは、どうしたら幸せだと思うのかな?」
「幸せ? 馬鹿なこと言うのね! 今後、幸せなど感じるもんですか!」
「……ならば、これからどうしたいのか聞かせてくれ。」
「では、この胸糞悪い都から解放してほしいわ。」
「わかった。」
 伯爵は色を失った。
「王さま!」
「ルーセは黙っておれ。……レニエに帰りたいのか?」
 エレナは顔を曇らせた。リオネルとの思い出の深い土地に暮らす気にはなれなかった。
「レニエは……よすわ。クルジェの親元に帰りたい。」
 彼女はまた、伯爵に指をつきつけ
「そして、この男の嫌がらせを受けないで、静かに暮らしたいわ。」
と言い放った。
「よかろう。ルーセ、そのようにせよ。」
「はい……」
「もういいかしら? 作る荷もないけれど、身の回りをまとめたいの。」
 エレナは王の応えも待たずに踵を返した。

 ルーセの伯爵は舌打ちし、怒りに顔を赤黒くさせて、エレナの後姿を睨んだ。
「ルーセ、そなたの下心はわかっている。が、あの娘はダメだ。……もちろん、ああいう境遇で、そなたの思うようになる娘もおるだろうが、あの娘はそうではない。」
「いえいえ。少し焦りすぎたようで。まだ、気持ちが落ち着いておらんのでしょう。」
「埒もないことを申すな。彼女は確かに美しい。愛を得られればいいとも思った。しかし、私はあんな気の強い娘は好まん。もとより、王妃がおることだしな。」
 そうまではっきり言われては、引き下がるしかない。伯爵は黙って頭を垂れた。
「そなたが女衒なら、私は客か……。どちらにしても、同類というものかもしれん。」
 伯爵がはっと顔を上げると、王は含みのある目を向けていた。
 伯爵は、王が偽書に気づいていたのだと知った。そして、秘密は秘密のままで共有するつもりなのだと悟った。
 つまり、自分の身は安泰なのだ。
 伯爵の頭から、エレナの重要度が消え去った。



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