3.

 ヴィダルの帰りが遅い。宿の小さな一室で、エレナとニーナは寄り添い、不安を抱えて待っていた。
「何かあったのでは……?」
 ニーナの顔色は青くなっている。エレナも胸が潰れそうな気持だったが
「そうかもしれない。そうではないかもしれない。とにかく、夜のうちは身動きが取れないわ。」
と言い
「食事はどうしようかしら?」
と微笑みかけた。
 空腹など感じる余裕はなかったが、何かせねば不安にばかり気持ちが向く。
 ニーナは黙って出て行ったが、すぐに戻ってきた。
 宿は、二階部が宿泊用の部屋で、階下の食堂は、酒と食べ物を出す店を兼ねていた。夜が更け、食堂は酔客のたむろする場所になっている。ニーナは、下町の男たちの高歌放吟する様子に恐れをなしたのだ。
 その様子には、エレナも下りて食事を頼む気になれなかった。
 二人は諦めて、寝台に上がった。

 しばらくして、扉を叩く音がした。二人は身構え、気配をうかがった。
「お客さん……」
 年配の女の声だった。宿の女主人のようだ。
 ホッとして、ニーナが対応に出た。
 すると、扉を開けるなり、数人の男がニーナを圧し戻すようにして、入ってきた。扉が閉まる瞬間、女主人がバツの悪そうな顔で立ち去るのが見えた。
 柄の悪い男たちだった。エレナは低く
「何よ、あんたたち?」
と尋ねた。
 男たちは黙ってエレナの腕をつかみ、寝台から引きずり出した。
「ちょっと!」
 ニーナが一人に手を掛けたが、強く突き飛ばされた。
「ニーナ!」
 振りほどこうとするエレナの腕を、一人がぐっとつかんだ。もう一人の男がニーナの両腕をねじり上げ、短刀を抜いた。
「あの娘、死んでもいいか?」
 エレナをつかまえている男が凄んだ。
「いいえ、と言っても殺すんでしょう?」
「よくわかっているじゃねぇか!」
 男たちは大笑いした。ニーナは蒼白で震えている。エレナは、なんとか気を落ち着かせた。
「そうね。あんたたちも、物分かりがいいはずよ?」
「よくわかることと、さっぱりわかんねぇことがあるな。」
「よくわかることよ。その子を殺せば、私は大暴れする。階下の人たちに知れる。大騒ぎになって、あんたたちはお縄になる。」
「下の人間に鼻薬が効いていないと思うか?」
「全員を懐柔できるほど財力があるとは見えないわ。」
「酒とつまみの一品で黙るような連中だぜ?」
「そうかもしれないわね。でも、面白い騒ぎがあったのを黙っていられる連中でもなさそうね。」
 からかうようだった男の態度が、少し揺れた。エレナは
「私を連れて行きたい場所があるんでしょう? 連れがいるかどうかは重要なことではない。そうでしょ? か弱い娘ひとりなど、後から何とでもできるわ。……大人しく連れていけた方が、あんたたちは助かるのではない?」
と言い連ねた。
 男はニーナを上から下まで眺め、エレナをじろじろ見た。
 エレナは背中に冷たい汗が流れるのを感じたが、悟られぬように胸を張った。
「……なるほどな。そいつはいつでも始末できる。」
 男は、ニーナを先に連れ出すように配下に命じた。
 エレナは、連れ出した直後に、ニーナを殺すのではないかと危惧したが、そうはならなかった。
 二人は馬車に圧し込まれた。

 降ろされたのは王城だった。
(王さまの仕業だったのね。)
 苦い思いと怒りが湧きあがった。王が自分に望むことなど予想がついている。絶対に従うものかと決心した。
 しかし、彼女たちを出迎えたのは王城の侍女や侍従ではなく、ルーセの伯爵だった。
「探したぞ。困った人だ。どこへ行くつもりだったのかな?」
 にこにこしているが、気を許すつもりにもなれない。黙っていると
「今まで誰に匿われていたのかは問わない。私にはどうだっていいことだからね。だが、今日ここからは、私の保護下だ。」
と宣言した。
「……あなたが? どういう権限で? 謀反人の縁者を保護して、何の得があるの?」
「あなたは、レニエの縁者でも何でもないではないか。婚約していただけ。婚約が成らなかった例などいくらでもある。いちいち、誰それと婚約していたと言われ続けることもない。あなたの父は私の家臣なのだ。その子女を私が保護するのは当然のこと。……以前にも話しただろう?」
「そうだったかしら?」
「まあ、いい。そうは言っても、何分大それたことをした男と関わりがあったのだから、身を慎ましくして、王のご機嫌をとり結ばねばならんよ。」
 エレナはあえて言い返さず、俯くと
「そうですね。」
と小さく答えた。
 伯爵は満足そうだった。



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