2.

 男たちは礼拝堂に戻り、顛末を報告した。
 棺を囲んでいた者たちは、ほっと息をついた。
「それで、顔は見られていないのだね?」
「はい。見ていても、おそらく死ぬでしょうから、ご心配には及びません。」
「そうか。お前たちも手伝うのだ。」
 彼らはリオネルの棺の側に寄り、蓋に打たれた釘を抜き続けた。ほどなく、蓋が開かれた。

 一人が棺を覗きこみ、リオネルの頬におずおずと手を伸ばした。
「……暖かい。」
 すると、側で覗きこんでいた男が
「お薬の効き目が解けたのです。」
と満足げに答えた。
「だが、お目を覚まさない。お前の計算では、今頃解けているはずではなかったのか?」
 問いかける声に苛立ちが滲んでいた。
「それは……初めのお薬も効きすぎたきらいがあります。あっという間に衰弱なさいましたからねえ……。ばれやしないかと、ひやひやしましたよ……。次のお薬も実によく効きました。どうやら、この方はお薬の効きやすい身体の性質らしい。お休みのお薬も効きすぎたようですね。」
 男は長々と弁解し、リオネルの頬をぱちぱち叩き始めた。リオネルの眉が苦しげに寄せられた。そして、うっすら瞼を開けた。
 一同は驚きの声を押し殺した。男は自慢げに皆を見まわした。
「あの紙を早く!」
 一人が鋭く命じた。リオネルはペンを握らされたが、力が入らず、取り落とすばかりだった。
「これでは署名ができぬ。どうしよう……?」
「すっかり目覚めてからでもいいではありませんか。」
「黙れ、アハマド。お前の目測の所為で、こうなっている。早く署名が欲しいというのに……」
 すると、人々の間から老人が分け出てきた。
「どなたかが代わりにご署名なさっても結構ですよ。」
「ご本人の署名だと証が立たぬではないか?」
 老人はリオネルの右手を取り
「この指環。印章が付いている。誰かが書いて、そこにこの印を押したらいい。レニエさましか持っておらず、誰かが使ってはいけない印でしょう?」
とにっと笑った。
「そうか。まさしく、お前の申す通り。……署名はお前。」
 指差されたのは、アハマドと呼ばれた男だった。
「私の不手際の所為だからとおっしゃるのでしょうね……」
 彼は苦笑し
「左から右は書きなれておりませんので……。えっと……リオネル・ドナシアン・カスティル=レニエ……と。綴りはこれでよろしゅうございますか?」
と言って、書類を手渡した。
 皆、書類を食い入るように見つめた。
「うん。合っている。大食の者の割に、それらしく書くではないか。」
「お褒めにあずかり、恐悦でございます。」
 アハマドが大げさなお辞儀をすると、小さな笑い声が挙がった。
 そして、一人が指環にインクを塗りつけ、署名の上に押し付けた。
「あなたも早くご署名なさって。」
 老人が一人にペンを渡した。握った手が震えていた。
「念願が叶うかと思うと、指の震えが止まらぬ……」
 そう言って、右手に左手を添えて、ゆっくりと署名した。
 署名し終わると、書類は老人に渡された。彼も素早く署名し、皆に示した。
 皆は嘆息し、頷き合った。
「これを父に。一刻も早く届けよ。そして……運び出せ。いや、お連れするのだ。」
「は。」

 リオネルは棺の中から出され、毛布に包まれた。男たちに抱えられ、馬車に乗せられた。
 まだ朦朧としていた。
(俺は……ここはどこだ? ……何者だ? ……何を話していた? 何をするつもりだ?)
 問いかけようと思うが、舌が顎に張りついたまま、どうしても動かせなかった。
 後から乗ってきた者が、リオネルを助け起こし、その膝の上に彼の頭を乗せた。愛しげに撫で
「お苦しそう……。お痩せになったし。でも、わたくしがしっかりあなたのお身体を健やかにお戻ししますから、安心なさって。」
と囁いた。
「……オクタヴィア……」
「ああ、嬉しい。お目覚めになって、まずわたくしの名前を呼んでくださるなんて!」
「……何故?」
「妻が夫のお世話をするのは当然のこと。」
 オクタヴィアは高笑いしている。
 リオネルは目を閉じた。
(俺は死んだことになっているのか? だとしても、面倒なことになっているようだな……)

 馬車は都を後にし、ひた走り、止まる気配もない。
(シビウか、マラガか……? マラガに連れて行く気なのか?)
 マラガから逃げ出して、キャメロンに帰国するのは骨が折れる。そこまで考えて、リオネルは考えるのを止めた。
 それよりも気がかりなのは、レニエとエレナのことだった。
 レニエは王が接収するだろうが、早々巧くきり回せないだろう。
 エレナは、王に従うことなどないだろう。
 胸が苦しくなるような難題だった。



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