8.

 ハティに連れられ、二人は部屋を退出した。一体何が起こっていたのか尋ねたかったが、ハティはますます厳しい表情で、話しかけるのも憚られる様子だった。
 重苦しい空気が流れた。二人は俯き加減で、案内に従った。
 前を行くハティが急に立ち止まった。何かと見れば、奥の扉から先ほどの少女が顔を覗かせていた。
 彼女は三人に気づくと、慌てて扉を閉めた。
 少女の部屋を通り過ぎようとした時、ハティは扉を小さく叩き
「リン。すぐに、シークがお渡りになる。」
と囁いた。
 扉の向こうから応えはなかった。ハティも望んでいたわけではないらしく、そのまま通り過ぎた。

 客間に通された。そこもまた上等な緞通の敷かれた部屋で、低めの寝台が置かれていた。寝台の覆いは絹張りだった。またしても、贅沢さにため息が出た。
 ハティは命じられたことは終わったとばかりに、無言で出て行こうとする。エレナが呼び止めた。
「ねえ。さっきのあれ、皆が急に青くなったけれど、何だったの? あんたは、リオネルを留めただけでしょう?」
 ハティは憎々しげに
「うるせえ……!」
と低く呟いた。その目つきは殺気すら感じさせた。
エレナは、訊いてはいけないことなのだと察して、それを訊くのは止めた。
「じゃあ……さっきの女の子、リンって言うの? あんたと知り合いなの?」
 ハティは彼女を睨んだ。怒鳴るのだろうかと思ったが、意外にも穏やかな口調で返事があった。
「知り合いではない。戦場であの娘を見つけたのは俺だ。俺が側にいた男を斬って捕まえた。」
 責めたい部分があったが、エレナは先を促した。ハティに話したい様子があったのだ。
「俺はまだ妻が一人もいないし、妻にするならば、あれくらい美しい女がいいと思っていたから欲しかった。だが、シークと俺と二人の戦士の中から、リンはシークを選んだ。」
 淡々と話しているが、どこか寂しそうだった。
「まだ好きなの?」
「好き? それは欲望を感じるのかってことか? 他人の奥方になったものに、未練など持たない。ましてや、シークの奥方だぞ。」
「そうだけど……好きと欲望を感じるのは違うと思うわ。」
「……何だ、その理屈? どうでもいいが、リンは俺を選ばなかったんだから、それだけのことだ。」
「あんたね……自分を守ろうとしていた男を斬った相手に、好感を持つと思っていたの?」
 ハティの目許に癇が走った。
「俺はリンではないからな。何を思ったのかなんて、わからねえよ!」
 彼の口調も表情も、やけに幼い感じがして、エレナは失笑した。ハティは鼻に皺を寄せて睨んだ。ますます可笑しかった。
「あんたは美しい女がいいんだ?」
「……他に何がある? シークもおっしゃっただろう? 麗しいと。夜の面白い女だとも。最高じゃないか。」
「中身は? 気性はどうでもいいの?」
「お前みたいに野蛮な女でなければな!」
 ハティはエレナの顎を掴むと
「女は麗しいのが一番。」
と嘲るように言った。
 怒るところだが、エレナはにやにやして
「汚い私はお呼びでないということね。」
と胸を反らした。
 ハティは鼻白んだ様子で、エレナの顎を乱暴に離し、出て行った。

 途端に、リオネルは吹き出し、大笑いした。エレナも一緒に笑い声を挙げた。
「麗しい、麗しいって失礼よね!」
「そうだな……。ここでの女の価値は、それなんだろうな。ハティもそうだが、みんな容貌が整っていた。ずっと昔から、美しい女を選んで子を産ませてきた結果なのかもしれない。」
「そうかもしれないわね。でも、ハティの話では、リンが気の毒だわ。」
「ハティとシークと、他に二人いたと言っていたな。問答無用に妻にしたというわけではなさそうだよ?」
「……選んだ体裁にはなっているけれど、ほとんど問答無用じゃない?」
 エレナは憤慨している。リオネルはため息をついた。
「エレナ、さっきも言ったが、ここにはここの物の考え方があるんだ。それに、お前には承服しがたいことが、リンもそうだとは限らないぞ。」
 彼女は唇を噛んだ。ここの極めて男性優位な社会を、彼も歓迎しているように思えた。
 彼は、そんな彼女の様子を見て、苦笑した。
「今日初めて、彼らと接した。“草原の蛮族”はその名の通りなのか……まだわからないね。少なくとも話はできる。」
「話ができる?」
「馬をやった男のように訛りが強くなかったじゃないか。意思の疎通に問題はない。」
 彼はそう言って寝台に上がった。彼女は彼の真意を問いただしたかったが、彼はすぐに寝息を立て始めた。
 彼女は起こすことはせず、自分も横たわった。すると、いかに自分が疲れていたかを実感した。




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