4.

 近習の馬は視界から消えたが、辻に当たると、ちゃんと二人を待っていた。追いつくと、また走り出し、視界から消える。
 そんなことを繰り返しながら、丘の上に到着した。
 屋敷かと思う門の前に近習が待っていた。
「キャメロンの者は、馬の乗り方も知らんのか? その馬は鈍足ではなかったはずだ。」
 苛立っているようだった。
 リオネルが
「草原の戦士についていけるはずがないだろう? これでも、キャメロンでは上手なんだぞ。」
と笑いかけると、近習はにっと笑った。
「それもそうだな。」
 近習は下馬することもなく、そのまま屋敷へ入っていく。二人ともそれに従った。

 異国的な複雑な文様が刻まれた内装。壁に掛けられた織物。足許には、藺草ではなく段通が敷かれていた。近習は躊躇することもなく、段通を蹄で踏む。
 エレナはリオネルを振り返って見た。
「踏んでいいんだろう。馬が第一の奴らなんだ。ここでは、馬も人と同じように段通の上を歩くんだろうな。」
 彼女は街の様子、商人の屋敷や暮らしぶりを思い浮かべ、この屋敷の豪華さを観察して
(“草原の蛮族”と言うけれど、私たちよりも贅沢な暮しをしているみたい……)
と思った。
 話の通じる相手かもしれないと期待する気持ちが湧いた。

 そうして、表の棟を通り過ぎた中庭に出ると、近習は馬つなぎに手綱を括りつけ
「下馬しろ。この先はシークのお住まいだ。」
と言った。
 二人は黙って馬から下りた。エレナが
「いよいよね。」
と囁くと、リオネルも厳しい顔で頷いた。

 棟の奥に進み、大きな樫の扉の前に立つと、近習はすうっと息を吸い、扉を叩いた。
 控えには、二人の側仕えがいた。彼らは、リオネルとエレナをじろりと見たが、表情も変えず無言だった。
 ぴりぴりと刺すような空気を感じた。歓迎はされていないようだ。
 近習が
「客人を連れて参りました。」
と声をかけると、中から
「おう。」
と野太い声がした。
 近習は主室の扉を開け、その場で平伏した。二人は近習の様子を見下ろした。
(大族長にするとかいう挨拶か……。客にも強いるか……? )
 しかし、すぐに近習は立ち上がり、部屋の中へ入って行った。二人も慌てて後に続いた。

 中は、油を使う大食のランプが灯されていた。
 廊下とは格段に上等な段通の敷かれた部屋の奥、艶々した絹張りの大きなクッションを背にかって、三十代半ばくらいの男が座っていた。
 上半身を裸にして、少女に包帯を巻かせている。
 近習が近寄り、床に手をつき
「尊きシークにご挨拶申し上げます。」
と言った。
 男は座ったままゆっくりと右腕を伸ばし、近習の額に人差し指の指輪をぐりぐりと圧しつけた。近習が床に額を擦りつけると、その背の上にぐるりと片脚を回した。
 奇妙で重々しい挨拶の作法と、それが当たり前である空気。さすがに、リオネルも緊張を感じた。
 男はリオネルに視線を据え
「お前か?」
と言った。
「そうだ。」
「もっと近くへ寄れ。顔がよく見えんぞ。」
 二人は歩み寄った。



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