3.

 滞在して数日。商人の家のもてなしは丁重だったが、どこかよそよそしいところがあった。
 エレナは何も言わなかったが、不安で仕方がなかった。リオネルもそうだったが、彼女を落ち着かせるように努めて泰然としていた。
(返事は来ないか……? いや、来る。)
 取引をしていたころ、何度か大族長に書状をつけたが、挨拶程度のものにも、律義に返書をよこす相手だった。

 ある宵、二人の部屋に商人が訪ねてきた。慌てた様子だった。寝支度をしていた二人に
「早く! さっと身支度してくださいよ!」
と急かせた。
「来たのか!」
 リオネルが鋭く尋ねると
「ええ、ええ。早く! ラザックは気が短い。」
と言って、籠の中のリオネルの服を放り投げた。
「ラザック?」
「草原の大族長の統べる部族だよ。いわゆる“草原の蛮族”。」
「ああ、伯爵さま! そんなこと、口が裂けても言ってはいけませんよ! ……ほらほら、奥さまも! ああ、手前がおると着替えられませんね。これは失礼!」
 商人が、来た時と同じようにあたふたと出ていくのを笑いながら、二人は着替えた。

 玄関に出ると、馬を引いた男がひとり、通りを眺めて立っていた。
「あれか。」
 商人は
「ええ。シークのご近習ですよ。まだ若い。ということは、血気盛んということです。それに、結構に上の方の血筋です。怒らせないようにね。」
と囁いた。
 そして、にこにこして
「やあ。お世話さまです。」
と近習に声をかけ、腰を折った。
 近習は振り向き、商人には
「うん。」
とだけ応えて素通りし、リオネルとエレナの方へ歩み寄った。
 大柄な若い男だった。キャメロンやマラガとは違った、前身頃を合わせる形のひざ丈の衣装を着ていた。首にじゃらじゃらとした玉を幾重にも掛けている。左耳だけに、耳飾りを下げていた。
 背中には大きな剣を背負っている。
 そして、輝く金色の髪を三つ編みにして、尻の下まで垂らしていた。
 篝火に照らされた顔は、はっとするほど精悍で美しかったが、頬に赤茶色の何かを擦ったような痕があった。
(それは……血……!)
 エレナは、リオネルをこっそり見やった。彼の目にも、微かながら驚愕の色があった。
 近習はリオネルのすぐ前に立った。東方の民を思わせる吊り気味で切れ長の茶色の瞳が、ぎらりと強い光で睨んでいた。
 商人が
「おや、戦いに出られたのですね。勇ましいお化粧を……」
と話しかけると、近習は口角を少し上げ
「ああ。親父殿が、まだこんなことをせよと言うからな。古臭せえ。今どき誰もしてねえよ。なかなか落ちないから嫌なのに、うるせえんだ。」
と言った。
 頬のそれは、戦いに際しての昔ながらの威し化粧だとわかったが、貴人の側仕えとは思えない物言いだった。また、見た目よりもずっと幼い印象を与える話し方だった。
 思わずエレナは
「えっ?」
と口に出していた。
 すると、近習の顔が厳しいものに戻り
「何だ、お前は?」
とエレナをねめつけた。
 リオネルはエレナを半身で庇い
「妻だ。」
と言って、静かに近習を見つめた。
「お前がレニエか。女がいるとは聞かなんだ。馬を一頭しか連れてきていない……。まあ、いいか。女。お前は残れ。」
 エレナはリオネルの肩をつかむと、前に出て
「私も行くわよ!」
と近習を睨んだ。
 近習は平然と彼女の挑戦的な視線を受け
「そうか。」
とだけ言って、さっさと騎乗した。
 彼は二人が馬に乗るのを見届けると、後ろも見ずに駆け出した。
 おそろしい速さだった。二人乗りの馬はどんどん引き離された。
「あれでも、案内のつもり?」
 エレナが不愉快そうに言うと、リオネルは
「俺たちが会いたいって言ったんだ。ついてこないなんて思わないんだろ。」
と笑った。



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