8.

“親愛なる我が友、忠実なる臣、リオネル・ドナシアン・カスティル=レニエ。
 かねてからの相談通り、私の方の用意は万全整った。
 北から私の兵を入れる。東からは、そなたの無二の友、草原の大族長が軍勢を差し向ける。
 そなたも、約束通り、南から都へ迫るように。
 キャメロンの北の平原は大族長が欲しがっている。私はそのようにすべきだと思う。そなたも快諾することだろう。
 王を廃した後、私はキャメロンの王冠を戴くが、実際の統治はそなたに任せる。功に応じた処遇をするゆえ、案ずるな。
 そなたの手はずが整えば、直ちに侵攻を開始する。
 決行の合図を心待ちにしている。”
 その下には、麗々しくラドセイスの大公と草原の大族長の署名があった。

 (落ち着け……落ち着け。偽書だ。……といって、通用するか……?)
 冷たい汗が背をつたった。
 リオネルは感情を圧し込め
「見せてくれ。」
と言った。
 廷臣は王を振り返り、拒否しないのを確かめて、書状をリオネルに向けた。彼は格子越しに、まじまじと書状を見つめた。
 上等な羊皮紙に、美しい装飾文字が使われていた。皮を削って修正した痕もない。いかにも高貴な家系の用いる風だ。

(……堂々と陰謀の全てを書く密書があるか! “親愛なる友”だとか“忠実なる臣”だとか“無二の友”だとか……肩書つきで本名を書くわけがないだろ! )
 また、文面を読み下して、奇妙な印象も持った。
 キャメロンとラドセイスの言葉には方言程度の差異があった。書状の言い回しはキャメロンのものだった。
(こんな不出来な密書、偽だと気づいていないのか……?)
 リオネルは廷臣と王の表情をすばやく見たが、彼らの無表情からは探れなかった。
 彼はゆっくりと目を閉じ、文面を反芻した。
 そして、決定的におかしな文言に気づいた。
 草原の大族長は、ラドセイスの大公によって、ラザックシュタールへ封じられている体裁をとっている。大公は“草原の大族長”とは呼ばず、“ラザックシュタールの侯爵”と呼称した。
 草原の大族長も、その肩書で署名するのだ。

「この署名……草原の大族長は、こんな署名の仕方はしない。また、大公は大族長とは呼ばない。」
 リオネルは静かに述べ、廷臣と王を順繰りに眺めた。
 リオネルの主張に心当たりのある様子の廷臣もいたが、黙って目配せするだけだった。
 王はそしらぬふりで
「そうか。では、何と呼ぶのかな?」
と尋ねた。
(答えるべきか……答えなくても……同じか?)
 考え込むリオネルを皆がじっと見つめていた。彼は自分を落ち着け
「ラザックシュタールの侯爵。」
と答えた。
 王は満足そうに頷き
「そなたは、ラドセイスの事情によく通じている。」
と断じた。
「皆、知っているだろう? 目と耳のある者なら、誰でも……」
 リオネルは廷臣に視線を移したが、誰もが目を逸らせた。
 王は再び厳しく断じた。
「そなたはラドセイスと通じたのだ。」
「そのようなことはない! こんな偽書……」
「塩はどこから? 桃色の岩塩のことだ。どこから買い付けて流した?」
 実のところ、リオネルはマラガの商人を仲介に、大族長と直接交渉していた。書簡のやり取りはあった。しかし、商取引に関する内容から出ないものだった。
(どこまで、知られているのだろう……? 正確に知っているのか?)
 彼は惑ったが
「マラガから。」
と答えた。
「マラガはどこから買い付けている?」
「……ラザックシュタール。」
「大族長と交渉しているな?」
「マラガの商人がね!」
「大量に買い付ける上客ならば、大族長の覚えもめでたいだろう。」
「蛮族の長の気持ちなど知らん。」
「そなたの無二の友だろう?」
「そんなものになった覚えはない。」
「……塩の道を握り、操作し、国内で力を得……隣国の手を借りて国を手中に収める。そのあかつきには、ラザックシュタールの侯爵とやらと共に、ラドセイスの大公の頭上にキャメロンの王冠が載るのを寿ぎ、自らはキャメロンの代官にでも任じられるというわけか。……つまらん策だ。実につまらん。」
 リオネルは、王がどうやっても叛逆者の汚名を着せて、廃するのだと知った。何を言っても、例えラドセイスの大公が否定しても、無駄なのだ。

「……エレナは?」
「女のことを心配している場合ではないぞ。……謀反人! 命乞いをする段階だ。」
 すると、母后が
「王さま! 謀反人だなどと! その怪しい書状のみで、レニエさまを断罪なさるのですか? いけませんよ! カスティル=レニエのお家は、西部の名門。もしものことがあれば、西部の諸侯が、難しいことを考えるでしょう。」
と震える声で述べた。
「母上。西部のことばかりお考えなのですね。東部や北部の諸侯は、草原の蛮族の襲撃に煮え湯を飲まされてきた。この男は、草原の大族長と懇意にしているのです。それだけでも、彼らにとって許せんことなのですよ。」
「そうならばなおのこと、その書状の真偽を詳しく調べねばなりません。忠実なサーシャの息子が謀反など……」
 母后はとうとう涙を落としたが、王の言葉は無情だった。
「父はキャメロンの王に忠実でしたが、息子はラドセイスの大公に忠実であるようです。」
「母后さま、結構です。王はもう、私の処遇をお決めになっているのです。」
「わたくしは……」
「あなたの御子息は、あなたが何をおっしゃってもお聞きにならないでしょう。むしろ、あなたが何かおっしゃるたびに、私に厳しくなさる。あなたの為にもなりません。」
「相変わらず生意気な……。何か申すことはないか?」
「“王さまにあんな態度を取るなど、気が狂っていたとしか思えん”。」
 王は鼻を鳴らし、黙って踵を返した。

 リオネルは気が抜けて、膝を床についた。
 母后が牢の前に立ち尽くしているのに、彼は小さな声をかけた。
「母后さま。エレナのこと……」
 彼女は小さく頷き返すと、立ち去って行った。

 異常なだるさに、身体を引き上げることが難しかった。
(逃げなくてはいけない。しかし、どうやって……? こんな状態で……。腹に鉛でも詰め込まれたようだ……)
 酷い嘔気が湧きおこった。彼はその場で激しくえずくと、蹲った。
 そして、ふらりと倒れた。
 意識が朦朧としていた。必死で遠くなる気を掴み取ろうとしたが、不可能だった。



  Copyright(C)  2015 緒方晶. All rights reserved.