6.

 リオネルが逮捕された数日後のことだった。
 王の居間をルーセの伯爵が訪ねてきた。
 王は、かつての内乱で敵方についたこの男を信用していなかった。内乱の後には、手のひらを返して、頻繁に上京して、王の機嫌を取るのにも、嫌悪感があった。
 その日も、にこにこと愛想笑いを浮かべて、世辞を並べるのだろうと王は思っていたが、伯爵は深刻な表情で現れて、人払いを願い出た。
 だが、伯爵はどう話していいのか惑ったままだった。

「何用か?」
 王が焦れて尋ねると、伯爵はハッとして、いつもの卑屈な笑顔を作った。
「王にはご存知のことと存じますが……。キャメロンの国の食卓……農夫や貧しい者の食卓は知りませんがね、食卓を飾る大切な調味料のことです。」
「うん……」
「上つ方は、厨房でも。そこそこの民たちも、晴れやかな食卓には、できるだけ薄い色の岩塩を置きます。下々の者は、客が実際に使おうとすると嫌がるそうですがね……」
 伯爵の話は瑣末な部分に逸れ、王を苛立たせた。
「塩がどうした?」
 王の厳しい声と視線に、伯爵は身を縮めた。
「塩なくせば、食事は味気なく、そもそもひとは健やかにおられなくなるとか……。桃色の岩塩、宝石のようにきらきらとした薄紅の塩は、どこからもたらされるか、王はもちろんご存知でしょう?」
「あれは、隣国ラドセイスの草原の街、ラザックシュタールの名産品だ。」
 王は面倒そうに応えた。すると、伯爵は嬉しそうに膝を打った。
(この男……常識ではないか……? )
 王の訝しげな目を受け、伯爵はしたり顔で話し始めた。
「あの岩塩の山の所有者は、草原の大族長でございます。まあ……草原の蛮族に所有という概念があればですが……。どれだけ掘り出すか、どれだけ商人に流すか……他国に売るか。すべて、大族長の采配ですよ。」
「そうだな。大族長は、岩塩で莫大な富を得ている。」
「そう。流す塩の量や値を操作してね……。ただ、大族長といえど、お天道さままで自由にできません。」
「うん。」
 王はますます怪訝な顔を向けた。伯爵は満足げだ。
「我がキャメロンの王国とラザックシュタールの間の街道は、大きく分けて二つございます。北周りに都に入る街道と、東からまっすぐ都へ至る道。遠回りの北の道よりも、東からの街道が主な交通となっております。だが、冬になるとどうしても通行が難しくなる。」
 北周りの街道は、北の海に向かって開けた平原を通る。だが、距離のある分、襲撃や参奪の危険が大きい。
 東の街道の方は、キャメロンの都までずっと近いが、山越えがあった。雪の積もる季節の旅は困難を伴った。
 北をとろうと東をとろうと、どちらにしても、冬にラザックシュタールから荷が到着することは少なかった。
 王が先を促すと、伯爵は
「冬になると塩の値段は上がります。高くても、人々は買いますが、底をつけば売りようもなくなる。……ですが、近年、塩の在庫がきれないのです。」
と言った。
「何故か?」

 ルーセの伯爵はにやりと笑い
「海ですよ! 海から塩がどんどん入ってくるからです。」
と答えた。
 王は見当がついたが、あえて
「どの港が?」
と尋ねた。
「レニエ。」
(やはり……)
 伯爵は
「レニエさまが買い付けているのですよ。」
と続け、ことさら声をひそめ
「……ラザックシュタールの主と交渉してね。」
と言った。
「主? 大族長か?」
「他におりません。」
「マラガの商人から買っているのではないか?」
「運び手はマラガの商人ですね。運び手はね。」
 王は長く息をつくと
「大族長と商売をするとは、レニエも豪胆だな!」
と微笑んだ。
「まことに。冒険の対価は大きな儲け。……大族長との特別な誼も、儲けの内かもしれませんなあ。」
「特別な誼?」
「そりゃあ、儲け合う仲。険悪にはならないでしょうよ。」
 王はじろりと伯爵を睨んだが
「そうだな。港とは実にいいもののようだ。」
と言って、笑った。
 伯爵は探るような目で王を見、一通の書簡を黙って王の前に置き、退出を願った。

 王はひとりになると直ちに、書状を開いた。素早く文面を読み下し、目を見張った。何度か、確かめるように読むと、書状を文箱に入れて鍵をかけた。
(王とは名ばかり……)
 王はため息をついた。
 内乱で味方についた諸侯の権力は大きかった。敵方だった諸侯の力も、以前ほどではないまでも大きい。実際、王の威光の届くのは、都の近辺だけなのだ。
 橋を架けようとするにも、道路を整備しようとするにも、川を治めようとするにも、諸侯の意向に左右された。
(レニエはああして、勝手な交易をして富をため込んでいる。私は何をしようとしても、諸侯に阻まれる。)
 悔しさと嫉妬の心が抑えきれなかった。
(マラガへと続く、富を生む港。レニエ。レニエの港から都へ続く道。……それらを抑えられれば……)
 ルーセの伯爵を初めに、レニエから都の間に領地を持つ、諸侯をひとりひとり思い浮かべた。
(ルーセも油断がならん。)
 そして、文箱をじっと見つめた。

 やがて、王は廷臣を呼ぶと
「ルーセの伯爵を取り立てる。式部の一端を任せることにした。」
と告げた。



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