5.

 リオネルは部屋に続く回廊で、背後からついてくる足音があるのに気づいた。エレナは祝宴の賑わいの興奮が冷めやらず、気づいていない。
(王は、想像以上に難物であったか……)
 リオネルは、エレナに相槌を打ちながら、いかにも楽しそうな様子を装い部屋へ向かった。
 部屋に入るなり、彼は彼女に
「王は俺に不信感を抱いている。」
と早口で告げた。
 彼女は笑って
「ほら、みたことか! 偉そうにするからよ。ダメだって言ったでしょう?」
と言った。
「お前を差し出せと、匂わせた。忠誠を誓う証に。」
 途端に、彼女は眉をひそめた。そして
「なんですって! 嫌よ! あんな男、嫌!」
と、大声を出した。
「まあまあ……。本気かどうかはわからん。“かしこまりました”とでも言えばよかったのかもしれんが……」
「言っていないんでしょうね!」
「言うわけがない。言えないよ、そんなこと。それだけは無理だ。」
 エレナはほっと息をついたが、リオネルの立場を案じた。
「私の所為で、リオネルが窮地に立つの? どうしたら、忠実だと証明できるの?」
 彼は考え込んだ。疑い深い王を納得させる方策は、にわかには思いつかなかった。彼は、彼女を一時でも安心させられる言葉を探した。

 その時、扉が開けられた。
 軽く武装した騎士が数人入ってきて、リオネルの腕を捕えた。
 騎士の後ろから、廷臣が現れ
「レニエさま、王のご命令です。あなたを逮捕いたします。」
と言って、丁寧にお辞儀をした。
「そうか。何か不興をかうことをしたかな? 覚えがない。」
 リオネルが、さも心外だというように尋ねると、彼は
「レニエさまは少し敬意が足りなかったようですよ。王は、そのような方面には殊のほか敏感な方ですから。」
と答えた。
「ラドセイスの草原の大族長にするように、平伏せねばならなかったのか? それとも、セリカの皇帝にするように、額を何度も床に擦りつけねばならないのかな?」
「それはかえって失礼ですよ! まあ……王のお気持ちが鎮まるまで、しばらく牢獄で過ごしていただくことになります。」
 廷臣は苦笑していた。常日頃のことだというように、淡々とした様子だ。
「そうか。……こんなことは多いのかな?」
「まあね。お行儀のなっていない方が大勢おられますから。たいていの方が、同じ憂き目を見ております。……ああ、これは失言かな……」
「それはいけないな。皆、もっと嗜みを心得ねばならん。私も含めてね。」
 そう冗談を言うと、廷臣も騎士たちも愉快そうに笑った。
「参りましょうか。酷い部屋ではございません。ここに比べたら、快適とはいえないまでもね。お望みならば、お食事に酒類もつけられます。ご面会も可能です。」
 エレナは堪らず
「私、会いに行くわ!」
と叫んだ。
「お嬢さまはできません。あなたは、お独りでここにお過ごしいただきます。王は、そうお命じになりました。」

 連れられるリオネルの後を、エレナが追おうとした。廷臣は、柔らかく彼女を遮って
「お嬢さま、謹慎だと申し上げたでしょう?」
と微笑んだ。
 彼女は肩を落とし、俯いた。
「可愛い方だ。レニエさまがご心配なのですね。……会えないのも、ほんのしばらくですよ。安心なさい。」
 廷臣の言葉に、騎士たちも頷いていた。リオネルはそっと目配せした。
 “大丈夫。”
 彼女は、彼の口に出さない言葉を読み取った。
「わかったわ。大人しく待っていることにしましょう。」

 廷臣を先頭に、騎士たちの間に入ったリオネルは、手縄も掛けられていなかった。捕縛というより、どこかに丁重に案内されるといった風だった。
 エレナはその様子を見て、少し安堵した。

 リオネルにあてがわれた牢は、聞かされた通りだった。採光が悪く、ひんやりしていたが、清潔に保たれた部屋だった。
 食事は豪華ではないが、充分与えられた。
 従者のヴィダルが会いに来て、エレナの様子を聞くことができた。心配した王の誘いはなく、部屋に籠りっきりだと聞いて、まずは安堵できた。
 ヴィダルは笑いながら
「王さまには、今後は“さようでございます”とか“かしこまりました”としか応えないことですよ! こう言っちゃあなんですがね、ノアをご存知でしょう? 従者のくせに気位が高いあいつ。ちょっとのことでも、すぐに気を損ねるんですよ。コケにされたってね。だから、私らは“ああ、そうかい”とか“そいつは知らなかったな”とか言ってやるんです。“さすが、ノアさまだ! ”なんてね。そうすりゃ、いい気分でいるんですから。影で嗤われているなんて、丸きり知らずにね! ……あいつと同じですよ。王さまだけど……ああ、そうとも! 王さまだって、そういうやつはいらっしゃいますよ。」
と言って、リオネルを苦笑させた。
「それで済むなら楽だな。」
「そうそう。お出になったら、下手に下手にね。リオネルさまは、ちぃっと生意気でございますから。」
 二人は一頻り笑った。
「もう十日もいる。そろそろ出していただけるのかな?」
「そりゃあ、いいところでしょうよ。役人が来たら、悔い改めて、泣きながら謝罪してくださいよ? “王さまにあんな態度を取るなど、気が狂っていたとしか思えん”とか何とか言ってね。」
 気楽な助言をして、ヴィダルは去って行った。
 リオネルは、説明のできない不安があったが、それを努めて圧し込めた。



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