11.

 そのころ、エレナは都のすぐ側にある母后の領地の城に匿われていた。
 城には、母后の乳きょうだいだという兄妹の老人がいて、エレナとニーナの面倒を見てくれた。
 扈従の騎士が数人警護をしている。外出は厳重に禁止されていた。
 母后が何故援助するのかは説明もなかったが、身の危険は感じなかった。

 午後の早い時間だった。
 城の門前で、騎士たちが誰かを取り囲んで、押し問答していた。兄の老人が出ると、農夫が泡を食らった様子で騎士の胸倉に迫っていた。
「どうした?」
「この男が、ご婦人に面会したいと。ご婦人などおらんと言うのに、わかりの悪いやつで……」
「お前さんは? その……」
「俺はレニエさまの従者だよ! ヴィダルって言えば、お嬢さまは……」
「おい! そんな大声でわめくな! 誰かが聞き留めたらどうするんだ!」
 騎士と老人は、ヴィダルの首根っこを掴み、城の中へ連れて行った。
「とにかく、お嬢さまに……、リオネルさまが……。お嬢さまに! どこにおいでなのか、教えてくれよ!」
 皆が宥めすかしたが、ヴィダルは興奮したままだ。老婦がエレナを呼ぶと、彼は身を投げ出して、大声で泣いた。
「リオネルさまが、ご危篤だって……!」
 居合わせた一同は息を呑んだ。
「どうして……?」
「わからないよ!」
「牢で……拷問を?」
「それもわからない。ただ、もう気もついていないって……」
「確かなの? あんた、どうやってそれを知ったのよ?」
 ヴィダルは舌打ちをし、苛々した様子で
「城の台所に忍び込んだんだよ! 飯炊き女と……それは聞かないでくれよ。どうでもいい。その女から聞いたんだ。叛逆罪の伯爵が死にかけているって。あいつは天罰だなんて嗤ったけど……罰当たりな女だ。不細工なくせに……。ああ、これも聞かなかったことに……」
と長々と話し出したが、エレナが
「叛逆罪の伯爵って……?」
とぼんやり訊くと
「お嬢さま! とぼけたことおっしゃっていないで! 何人も叛逆罪の伯爵がいますか? リオネルさましかいないでしょう! しっかりしなさい!」
と怒鳴った。
 エレナは拳を握りしめ、周りを見渡した。老兄妹、騎士、そしてニーナが彼女を見つめている。一様に、沈痛な面持ちで、彼女が何を言い、何をするのかを待っていた。
「……私、都へ戻らなくては。ヴィダル……」

 そう言いかけたところ、陰鬱な鐘の音が聞こえてきた。遠く都の方角からだった。ひとつの鐘の響きに、もうひとつが重なり、どんどん鳴らされる鐘の音が増える。鐘楼全ての鐘が鳴らされているようだった。
 >陰々とした無数の鐘の音は、絶えることがない。
「何……この鐘……? こんな時間に……」
 ニーナが呟いた。怯えた目をエレナに向けていた。
 中途半端な時間だ。晩鐘の時間には、ずっと早い。
 当たってほしくない見当が皆にあった。
「これは……弔いの鐘では……?」
 誰かが小声で言った。皆、顔を見合わせた。
 エレナは耳を抑えた。
「止めて! 止めなさい! この鐘を止めるのよ!」
 彼女は脚を踏み鳴らし、大声で叫び続けた。
 絶え間ない鐘の音に、彼女の泣き叫ぶ声が重なった。
 老兄妹も、ニーナも、騎士たちも、一言の言葉もなく、取り乱す彼女を見つめるしかできなかった。

 誰もが、長い時間に思われた。鐘の音が低い残響を残して止んだ。
 エレナは膝をついて、床を叩き続けていた。
 老婦が彼女の肩にそっと手を掛けた。
「お嬢さま……、お悔やみを……」
 老婦はそこまでで言葉を呑み込んだ。振り向いたエレナの顔には涙はなく、強い瞳がぎっと老婦を睨んでいた。
 エレナは立ち上がると、衣装の皺を撫でつけた。
「ヴィダル、都へ行くわ。」
 ニーナが慌てて止めた。
「エレナさま、王さまが探しているかもしれない……。まさか! 王に何かなさるおつもりでは……? いけません!」
「王? あの男を殺せば、リオネルが生き返るとでも?」
 緑色の瞳がぎらぎらと光って、ニーナを睨んでいた。彼女は恐れ、黙り込んだ。
「リオネルの最期を見なくては……。こっそり、人目を忍んででも……。リオネルの柩に口づけをしたいの。」
 誰もが危険だと思った。しかし、誰も諭す自信も意思もなかった。



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