10.

 王に困った知らせが届いた。
 リオネルが牢で病に臥せっているという報告だった。装っているだけかと怪しんだが、朦朧としている様子を見れば、信じるしかなかった。
(これでは、皆の前に引き出して処刑することができない……)
 王は医師を遣ったが、どの医師も上手く手当てができなかった。
 廷臣たちは、苛立つ王を持て余した。

 そこへ、不思議な大食の男が現れた。彼は自ら医師だと名乗った。
 廷臣たちは
「大食の医師は腕がいいと聞きます。我々の医師とは違った方法を知っているかもしれません。」
と勧めた。
 その男に希望を繋ぐしかない。
 王は、大食の医師をリオネルに遣わした。

 獄吏たちは、大食の医師を怪しげに見た。キャメロンに大食の者が訪れるのは稀で、見たことがなかったのだ。
 見慣れぬ長衣と、布を巻きつけた頭に黒い顎髭、大きな編み籠を下げていた。
 獄吏が恐る恐る
「その籠は?」
と尋ねると、医師は籠の上蓋を小さく開けて見せた。
 黒い猫がうずくまっていた。金色の目を光らせて、ねめつけている。
「その猫は何だ?」
「私どもの国では、医師は猫を連れるものなのです。敏感ですからね。部屋に流行り病が満ちているか、たちどころに見分けます。」
 “流行り病”と聞いて、獄吏たちは身震いした。彼らはそれ以上尋ねることはせず、医師を案内すると、慌てて立ち去った。

 リオネルは大食の医師を一瞥しただけで、目を閉じた。異様なだるさに身体どころか、瞼を開けていることすら大儀だった。
 医師は黙って、リオネルの口を開けさせ、手足を見ると
「思いのほか、重篤ですな。」
と呟いた。
 そして、リオネルに水薬を飲ませると、早々に牢から出た。
 獄吏は医師が早くに帰ってきたのをいぶかしんだが、医師の
「レニエさまのご病気は重い。大食の国では、よく知られた流行り病です。あまり近寄らないように。」
という言葉に怖気立った。
 医師は毎日来ては、薬を飲ませた。すると、多少倦怠感が失せてきた。身を起こすのは億劫だったが、医師の問いかけに答えることはできた。
 医師は毎回
「多少良くなった感はあるでしょうが、そのまま、横たわったまま。これまでと変わらずにお過ごしください。今が大事な時です。」
と指示した。
 リオネルは、体力を消費しないようにとのことだろうと考え、言われた通りにした。
 
 ある日、医師は籠の中から、黒猫を掴みだした。リオネルの前で籠を開けたのは初めてのことだった。
「猫……?」
 医師はリオネルの問いには答えず、微笑んだだけだ。
 猫は牢の中を物珍しげに歩き回っている。医師はそれを眺めている。リオネルは黙って、医師の奇妙な行動を見つめた。
 やがて、医師は猫を捕まえ、懐から赤い丸薬を取り出すと、猫の口に一粒落とした。
 たちまち、猫の身体からぐったりと力が抜けた。目を開けたまま、口から舌を出している。腹はぴくりとも動いていない。
 リオネルは目を見張り、厳しい顔で医師を見つめた。
「……毒……?」
 医師はにっと笑った。
「この猫、寝台の下に入れて二日放置して。その間、いつものようにお休みになってください。そうすれば、伯爵さまは完全に回復なさる。」
「それは……まじないか?」
 医師はリオネルの枕の下に小さな紙包みを置くと、帰り支度をし、何も答えずに去って行った。
 リオネルは床の上に横たわった死んだ猫をいぶかしげに眺めたが、そっと抱き上げると、寝台の下深くに押し込んだ。

 二日後、胸の重苦しさに目が覚めた。目を開けると、胸の上に黒猫が香箱を作って、リオネルの顔を見下ろしていた。驚いて、身じろぎすると、猫はぴょんと飛び降りた。まったく元気だ。
 リオネルは驚きの声を何とか抑え、枕の下の紙包みを探った。
 中には、猫に飲ませた赤い粒薬が十粒あまり入っていた。
(佯死……)
 リオネルは包みを枕の下に戻し、医師の来るのを待った。
 いつものように訪ねて来た医師は、当たり前のように猫を籠の中に戻した。
 リオネルは声をひそめ
「そなた、誰の手の者だ? 後は……?」
と尋ねた。
「ご安心ください。……どうぞ、早めの夕食代わりに、お召しあがりください。」
 医師はそう言うと、牢を出た。
 牢の表から、医師の怒声が聞こえた。
「伯爵さまは最早助からぬわ! 何故、もっと早く私を呼ばなかったんだ! 危篤だ!」
 獄吏たちは何か言って騒いでいる。流行り病を怖れて来ることも稀だったが、さすがに様子見に来るかもしれない。
 (エレナ……)
 リオネルは、丸薬を飲み下した。
 胸をぎゅっと掴まれたような感覚があったが、それを認識する暇もかすかなままに、彼は寝台に倒れ込んだ。



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