4.

 農夫であったユーリには、畑仕事は慣れたものだ。農村の風俗もさほど違わない。
 初めは、よそよそしかった農夫たちだったが、百姓言葉で話しかける新しい伯爵を彼らは面白がり、徐々に受け入れ始めた。
 城の者も、葡萄畑を大切にしているのだと、彼への態度が柔らかくなり始めた。
 しかし、ユーリは港へは出かけなかった。
「俺は海のことはさっぱりだ。見たこともねえ。怖いよ。商売のことは、畑仕事みたいにすぐに覚えられないから、今はよくわかった人に任せる。おいおい覚える。」
 港を通じた商いは、リオネルが深く関わるようになるまで、代々の伯爵はユーリのような関わり方をしていた。
 城の者は少々がっかりしたが、ユーリは覚えないとは言わなかったから、覚える気はあるのだろうと考えた。実際、彼はマラガの商人と顔合わせもし、取引の場にも現れた。

 エレナもニーナも、安堵した。
「もともと人懐っこい子なのよ。」
「ええ。村人たちは、教えれば覚えもいいし、素直だって、すっかりユーリさまを気に入ったようですよ。商人とのことも、ぼちぼち。時折、質問なさったり、関心を示されるようになりました。」
 ユーリがレニエに馴染んでくるのが、エレナには嬉しかった。それとともに、心の奥に秘めてきたリオネルのことが大きくなってきた。
 ヴィダルは、エレナに意味ありげな目を向けるようになった。
“そろそろリオネルさまのことを……”
と誘っていた。
(わかっているわ……。ユーリがもう少し、レニエとしっくりいくようになるまで……)

 マラガから荷が着いた日だった。
 届いたのは大量の塩だった。城の執事が、受け取りの書類をいつものように作った。
 それで終りのはずだった。
 だが、マラガの商人は小さく
「それで……いかがいたしましょう?」
とユーリに尋ねた。
「何を?」
「約束の分は、今度の荷で最後です。今後の塩の取引でございますよ。」
「それは、これまで通りだろ?」
「そのようにお伝えすればよろしいのですね?」
「……お伝え?」
 すると、慌てて執事が遮った。
「ユーリさまには、まだお知らせしておらん。私が後でご説明するゆえ、貴殿らは……。これまで通りとお伝えしてくれ。」
 商人たちは頷き出て行った。
 執事は彼らを見送ると
「失念していた……」
と舌打ちした。
 ユーリは困惑した。
「何を説明していないの? “そのようにお伝え”って言っていたけれど、誰にお伝えするんだい?」
「彼らは船主ですから……」
「ん? 商人だろ? いつも、運んできた奴らと、次の約束をするじゃないか?」
「……塩だけは違うのです。マラガから買っているのではない。」
「じゃあ、誰から?」
「草原の大族長。」
「それは?」
「今のところはこれまで通りの値で頼みましたが、ルーセさまがほら……若い酒までお売りになったから、次の取引は考えねばなりません。」
「取引を考えるって、どうやって?」
「大族長に書状を送りましょう。」
「……リオネルさまもそうしていたの?」
「さようです。」
「……じゃあ、王さまが言っていたことは、本当なんだね!」

 寝支度をしていたエレナの許に、ユーリが訪れた。
 ニーナが、エレナは夜着姿だと止めたが、彼は乱暴に押しやると、寝室に入ってきた。
 ニーナを強引に下がらせると、彼は憎々しげに言い放った。
「さっき聞いたよ。リオネルさまは草原の大族長と、こっそりやり取りしていたんだってね。王さまの言う通りだった。……王さまが教えてくれたよ。リオネルさまはそいつと組んで、王さまに取って替わろうとしたんだって。」
 エレナは胸を張り、彼を睨んだ。
「そんなこと、嘘よ!」
「何が? 大族長に手紙を送っていたんだ。執事もそう言った。内緒でやっていたんだろ? マラガの商人もそんな風だった。悪いことだから、ひそひそしているんだろ?」
「商売のやり取りはあったんでしょうよ。でも、王さまを追いだそうなんて計画はしていない。するわけないじゃない!」
「そう? エレナはリオネルさまが何を企んでいるのかまで、全部教えてもらっていたの?」
 彼は探るような目を向けた。
「それは……何も企んでいなかったんだから、教えようもないでしょ?」
「何も企んでいないなんて、どうしてわかるの?」
「……そんな人ではないからよ!」
 彼には、彼女がリオネルへの愛情で目が曇っているとしか思えなかった。カッとして、とうとう怒鳴った。
「謀反人の味方をするのか!」
「謀反人なんて言わないで! それに……あんたの兄さんじゃない!」
「兄貴だなんて思うもんか! これっぽっちだって思っちゃいない!」
「リオネルは恥じることなど何もしていない。」
 彼女の言葉は静かだったが、緑色の瞳の奥が燃えるように煌めいていた。彼は気圧され、目を逸らした。
「どうだか……悪いことをするから天罰が当たったんだ。全部取りあげられて、死んだ。」
「リオネルは……取りあげられてなどいないわ。必ず、愛するレニエに戻る。」
「……何を言っているの?」
「リオネルは生きているのよ!」
「馬鹿なことを……」
「いいえ。生きて戻るわ。」
 彼は彼女に視線を戻した。彼女はさっきと同じ、動じない眼差しで見つめていた。
 堂々とした態度だった。彼女の意思の強さは知っている。
「そう……。エレナはリオネルさまを信じきっているんだね。手ひどく裏切られたと解るまで、目が覚めないだろう。」
「信じているし、愛しているわ。彼は私を裏切ることなどない。あんたの言うような意味で、目が覚めることはないわ。」
 ユーリはエレナをじっと見つめた。そして、長いため息をついた。
「俺は……。エレナが涙を流したら、慰める役はできるよ。この前もそうした。またあの時みたいに、リオネルさまはエレナを泣かせるのかな……? だったら、俺は絶対にあの人を赦さない。」
 彼は苦しげにそう言うと、彼女の応えを待った。
「……わかった。」
 彼女は小さく短く応えを返した。彼の青い瞳が一瞬ぎらりと光ったが、彼は黙って出て行った。

 入れ違いに入ってきたニーナが、何があったのか尋ねたが、エレナは商人との諍いのことだったと答えた。解決したから問題ないとも答えた。
 ニーナは訝しげだったが、それ以上は訊かなかった。

 翌日、エレナはヴィダルをつかまえ
「ヴィダル……ヴィダル。私、レニエを出るわ。あんた、こっそり手引きをして。やってくれるでしょう?」
と囁いた。
 ヴィダルの表情がさっと厳しくなった。彼は少し考え込み、やがて頷いた。



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