2.

 かつて、リオネルが使っていた居間に通されると、すぐさま扉が開いた。
 エレナは振り向き、睨みつけた。
 そして、驚愕した。
 立派な身なりに整えたユーリが、困った顔をして立っていた。

 二人とも掛ける言葉を探ったが、にわかに見つかるものではない。
「……ここで、何をしているの……?」
 ようやくエレナが言葉を発すると、ユーリは顔をしかめた。
「王さまにここへ行けって言われて……」
 彼は俯き黙りこんで、上目づかいに彼女をちらちら見た。彼女が胡乱な目で見つめているのに気づくと、悔しそうな顔でまた俯いた。
「お母さん、亡くなったわよ。殺されたの。」
「そう……。そうだと思っていたよ。俺はあっという間に捕まって、母ちゃんのことはわかんなかったけど、ぐさっとやられていたからね……」
「あんたは、それで?」
「俺は王さまのところに連れて行かれたんだ。そうして、俺は前のレニエさまの隠し子だって言われた。だから、俺にレニエの伯爵になれって……」
「あんた! そうですかって従ったの?」
「だって……そうするしかねえだろ!」
 エレナにも、ユーリを責めることはできない。昨日まで農夫に過ぎなかったユーリが、王に盾突くなど考えもしないし、無理だ。
「お父さんがレニエさまだなんて、あんた信じるの? お母さんがそんなことをしたと思うの? あんたのお母さんは、お父さんと仲睦まじかった。お父さんはあんたを可愛がっていたし……。違う男の子供をあんなに可愛がる男なんかいる?」
「父ちゃんの前に、サーシャさまなんだよ。父ちゃんは、サーシャさまの従者だったんだって。なるほどなって思ったよ。……俺に弟も妹もいないのが、ずっと不思議だったんだ。父ちゃんと母ちゃんがナニしているのも見たことねえ。ご主君の女に手を出す従者はいないよな。」
 ユーリはくすりと笑ったが、さすがに言い過ぎたと咳払いをして続けた。
「それで、奥さんに、母ちゃんが孕んだってばれて、サーシャさまは父ちゃんに逃がすように言ったんだ。そりゃ、逆らえないよな。どこへ逃げるつもりだったのかはわかんないけど、クルジェの側で母ちゃんが産気づいたもんだから、そのままクルジェに居ついたってわけ。」
 エレナは、ユーリの“両親”について、よくよく思い浮かべてみた。
 村人たちは、よく言えばおおらか、ありていに言えば猥雑な振舞いをする。しかし、他の者とは違って、どんな場面でも、ユーリの父母は野卑に下らなかった。
 丸きりの農民ではなく、城に仕えていたからであるように思えた。単に大人しい気性だったからとも思える。定かではない。
 しかし、それよりも、ユーリを皆が受け入れているのかが気になった。

「……そうだ! 奥方さまは? レニエの奥方さまは、あんたが来て、どうしているの?」
「奥方さま……あの人は、俺が着く前に死んじまったって。」
「どうして?」
「それは、知らないよ。でも、よかったのかもしれない。俺にしたら、気まずい相手だし、あの人にも俺は癪に障るやつなんだろうし。そうだろ?」
 ユーリはそう言って、ほっと息をついた。奥方の死に安堵している風だった。今までは、彼が人の死をそのように語ることはなかった。エレナは眉をひそめた。
「あんた、何だか変わったみたい。」
「そう? そりゃあ、貴族になったんだ。いつまでも百姓のままではいけない。」
 ユーリは苦笑した。
「王さまのところで、色々言われたよ。俺は堅苦しい暮らしなんか、まっぴらだと思った。けど……」
 ユーリはエレナに歩み寄ると、すぐ前に立った。
「けど、エレナを貰えるんだ。堂々と祝言が挙げられるんなら、これ以上に嬉しいことはねえよ。感謝しなくちゃね。」
 彼はそう言って、照れくさそうに微笑み、エレナを見下ろした。
 エレナはユーリをまじまじと見つめた。
(青い瞳……)
 “鬼神の青い瞳。カスティル=レニエの男たちは、この色の瞳に生まれつく。”
 教わった言い伝えが浮かんだ。
 逆光になったユーリの瞳は、より濃く沈んだ色に傾き、リオネルとよく似ていた。
「エレナ……昔、森でよく話したよね。俺の花嫁になるって言った……」
 ユーリはエレナの頬に手を伸ばした。
 エレナは、とっさに手のひらでユーリの口元を押さえ、横を向いた。
 彼は苦笑して、彼女から少し離れた。
「気持ちはわかるさ。リオネルさまがああなって、今度は俺って。すぐにその気になるわけないよ。俺、待っているから。」
「リオネルもそんなことをよく言っていたわ。さも嬉しそうに。楽しんでさえいた。」
 彼女がぽつりと言うと、彼は
「リオネルさまは待っているうちに、死んじまった。」
と低く呟くと、出て行った。

 エレナは窓の外に見える黒い塔を見つめた。
“我はどちらでも良い。リオネルでも、ユーリでも。”
 鬼神の言葉が蘇った。
(そう……。そういう意味だったの。あなたにとっては、二人とも、遠い息子なんですものね……)
 彼女は唇を噛んだ。



  Copyright(C)  2016 緒方晶. All rights reserved.