8.

 その日の行程が終わり、隊商はこっちりと固まって夜営を始めた。
 商人の小番が二人に食事を持ってきたが、エレナの顔を見ると、気の毒そうな目を向け、一言二言労いの言葉をかけて離れていった。
 食事を終えると、二人は早めに就寝しようと、簡単な寝仕度を始めた。
すると、そこへ護衛の一人が現れた。最後尾にいた戦士だ。
 彼はエレナに無感情な一瞥をくれただけで、リオネルに目を据えた。
 リオネルはエレナを心持ち下げると、戦士にゆっくり歩み寄った。
 がっしりした男だった。ぱさぱさの長い金髪を無造作に束ね、傷だらけの長剣を背負っている。肌荒れして真っ赤な頬が、妙に幼さを感じさせた。だが、灰色の瞳は鋭く、睨んでいるのかと思うほどだった。
 リオネルにもエレナにも、彼の意図はわからなかったが、絡まれるようなことはしていない。

「何か、用か?」
 リオネルが静かに尋ねた。戦士は聞き取り難い発音で何か言った。
 リオネルは惑った。戦士はリオネルの応えを待っている。気まずい間だった。
 戦士は鼻を鳴らし、また何か言った。今度は、“一番後ろの”という単語を発したらしいのが判別できた。
「最後尾で、二人乗りしていたが?」
 戦士は頷き何か言い返したが、訛りが強く理解し難かった。
 リオネルが首を捻ると、戦士は舌打ちしたが諦めることはせず、意思の疎通を図ろうとした。しかし、どうしても上手くいかない。
「誰か、言葉の解るひとを呼びましょうよ。」
 エレナの提案にリオネルも賛成し、立ち上がろうとした。すると、戦士は慌てて彼を押しとどめた。
 そして、戦士は長い溜息をつき、地面にしゃがみ込んだ。
 彼はひとの姿を描き、自分を指さした。
「俺。」
と言ったように聞こえた。
 そして、数人のひとを描き、商人たちの方を指さした。リオネルが
「商人たち?」
と尋ねると、にっこり微笑んだ。
 今度は、馬の絵を描いた。
「馬だな。」
 リオネルの応えに、戦士は嬉しそうに頷いた。彼は馬の上にひとの姿をふたつ描いた。
「俺とエレナ、あの女のことかな?」
 リオネルが自分とエレナを指さしてみせると、戦士は
「やあ、やあ!」
と大きく頷いた。
 リオネルも嬉しくなり、笑い声を挙げた。戦士も苦笑していた。奇妙な親密さが芽生えた気がした。
 リオネルはエレナに笑いかけた。彼女も危険はないのだと側にしゃがみこんだ。

 戦士は、隊商の絵を指し、自分の絵を指し
「金を払う。」
と言った。
(隊商が護衛の料金を払うということかな。)
 戦士は続けて、リオネルたちの絵を指し、隊商の絵を指し
「金。」
と言った。
(まあ、そうだよな……)
 すると、エレナが
「私たちは、隊商にお金を払わなければならないの?」
と尋ねかけた。
「そうだよ。連れにしてくれたんだから。それには、この前に馬を売った金を充てる。」
「ええ。」
 戦士はやり取りを聞いて、“馬”という単語に反応した。彼は馬の絵を丸く囲むと
「馬を渡せ。」
と言った。
 リオネルは隊商の絵を指し
「馬を商人たち……これに渡せ?」
と尋ねた。
 戦士は眉を寄せ、首を振り
「俺に渡せ。」
と言った。そして、隊商を指して金と言い、リオネルたちを指して金と言い始めた。話が最初に戻ったのだ。
 リオネルもエレナも、怪訝な顔をして、戦士のすることを眺めた。

 戦士はリオネルを差し、隊商を差し
「金は無し。」
と言い、隊商を差し、自分を差し
「金は無し。」
と言った。そして、思い出したように、四人の人型を描いた。
「こっちは有りだ。」
 ようやく話が見えてきた。
「俺が彼に馬をやれば、隊商は彼の分の料金を払わなくてもいいと言っているようだ。俺が払う隊商への礼金は、直接彼に渡る格好になる。馬という形でね。」
 リオネルがエレナに説明するのを、戦士が満足そうに眺めていた。
「わかった。商人には、俺からも話すが、仲間うちで話はついているのか?」
 彼が四人の人型を指さすと、戦士は頷いた。
「ラザックシュタールの囲い地で、渡せ。」

 翌日。草原の彼方に、白い泡のような塊が現れた。昨日の戦士が二人に馬を寄せて
「ラザックシュタール。」
と指さした。
 その姿は陽炎の中、小さく揺らめいて見えた。リオネルは
「幻の城のようだ……」
と呟いた。辿り着いた安堵はあったが、困難が解決したわけではない。解決への鍵はそこにあるかもしれないし、ないかもしれない。思わず呟いた言葉が、殊の外しっくりと気持ちを表現していた。
 彼は、ほんの僅かずつ近づいてくる白い城壁を睨み続けた。

 その街に着いたのは宵だった。城門は既に閉じられていた。隊商は街の囲い地で最後の野営をした。同じような隊商が周りに沢山あった。
 リオネルとエレナは、囲い地の塚に登り、街を望んだ。
 巨大な城壁だった。そこから見ても高い壁なのだ。側では、首を曲げても見上げきれない高さだろう。もちろん、壁の内部は窺うことができない。
 壁の上には大小さまざまな形の塔があり、篝火が盛んに燃えて、歩哨の影が何人も見えた。
「大きな城壁……! こんなにがっちりした城壁は初めて見たわ。」
 エレナが感嘆すると、リオネルは少し驚いて彼女を振り見た。
 彼女は軽く笑った。
「どうしたの? もうここまで来たら、大した危険はなさそうよ?」
 彼は苦笑した。
「臆病だと思われたかな……。何だか……あの壁に魅入られた。キャメロンの、領民を閉じ込める為の壁とは違うから……。あれは戦いの為の壁だ。街を守る強固な。そして、攻撃する為の……」
 彼は壁の塔を指さした。
「どれだけの戦いを見てきたのだろうな……」
 二人は黙って城壁を眺め続けた。
「でも……私には優しい壁に見えるわ。私たちを招き入れて、保護してくれる。一時だけでもね。」
 彼は間を丸くして、やがて笑い出した。
「頼もしいな。狼の巣かもしれないのに。」
「手懐けるつもりはないの? あるくせに、脅かすのは悪い癖ね!」
 二人はお互いを小突きあい笑い合った。

 翌日、まだ暗いうちに隊商は出立の準備を始めた。リオネルは、隊商の主の前で、約束通り戦士に馬を渡した。
 戦士は馬の周りをぐるりと回り、尻を撫で、後足を眺めていた。そして、満足そうに頷いて何か言い、リオネルに笑いかけた。
 金を貰った他の戦士たちが、馬を得た戦士と商人に何か言っていたが、揉め事に発展することはなかった。
 戦士たちは騎乗し、軽く手を振ると、振り返ることもなく駆け去った。
「何を言っていたのかな?」
「“あいつ、うまくやった。”と。旦那の馬、いい馬だとは思ったが、私の思う以上だったようだね。"二人乗りでもさほど遅れない脚だ。いい尻節だ。”と、羨んでいましたよ。」
「そうか……」
 リオネルは商人に礼金の問題を確かめようとしたが、彼は
「では、よい旅路を。」
と言って、そそくさと立ち去った。

 東の空が茜に染まり始めた。
 リオネルはエレナの肩を抱き締めた。彼女も彼にぴったりと寄り添った。
 二人は城壁に向かって踏み出した。



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