戦いの終わり
7.
二人は早足で関から離れた。もうラドセイスの国内だ。マラガの役人は越境して追ってこないとわかっていても、歩く速度を緩められなかった。
二人は黙りこくって、歩き続けた。
やがて、エレナは不思議なことに気付いた。
ラドセイス側には、マラガのような関の施設がないのだ。行けども行けども、見えてこない。見渡す限りの平原だが、どこにもそれらしき物が望めなかった。
彼女は先を行くリオネルに駆け寄り、尋ねかけた。
「ねえ、ラドセイスの関は?」
「無いようだな。」
「どうしてかしら? マラガの関があるから、必要ないの? それにしたって、ラドセイスの官吏を共に置くことはしないの?」
彼は足を止め、彼女を振り返った。彼女は小さく驚いた。
今までとは比べようもなく、彼の表情は厳しく固かったのだ。
「ここは、そういうところなんだということだろう。誰何したり、捕縛して取り調べたりは必要ないと。要するに……怪しい者は問答無用に……」
彼はそう言って、右手の親指で首の前を横にすっと引いた。
彼女は青くなり、絶句した。すると、彼は笑い出した。
「役人はいないか、当分現れないんだ。下手くそな演技をしなくていいのは、助かる。……ただ、突然襲い掛かってくる奴はいるかもな。」
「余計悪いわよ!」
「そうかな? 役人との面倒は心配しなくていいんだ。一時だけなら、一緒に歩いてくれる隊商はありそうだぞ。」
だが、先ほどの小さな騒動を見ていたからだろう、一瞥していく者が多かった。依頼できそうな雰囲気ではなかった。
「あの商人たちはやり過ごした方がよさそうね。」
彼女がそう言うと、彼も頷いた。
リオネルはエレナを馬に上げ、自分は歩いた。
陽光に草原の緑が輝いている。乾いた風が足許をさらっていった。マラガの、焼き尽くすような空気ではなかった。
遠くに、白い天幕が点々と見えた。遊牧の民の住まいなのだろう。家畜を追いに出ているのか、人影はほとんど無かった。
彼は、レニエの民謡を口ずさんだ。彼女にも聞き覚えのある歌だ。途端に郷愁にとらわれた。
(レニエが懐かしい……。私、クルジェよりレニエを懐かしんでいる……)
不思議な気がしたが、不快ではなかった。
数刻進んだが、不穏な気配はない。長閑な草原が続いているだけだ。
エレナは眠気すら感じ始めた。何も危険はないのではないかと思われた。
「ねえ、連れを探す必要はないんじゃないの? 翌日にはラザックシュタールなんでしょう? 一晩だけだし、大丈夫ではないかしら?」
突然話しかけられたリオネルは、驚いた様子だった。今まで動じなかった、少なくとも動じた様子を毛ほども表さなかった彼の意外な反応を、彼女は訝しんだ。
「どうしたの、リオネル? びくびくしているように見えるわ。」
「さっき言っただろう? マラガとは全く違う場所だって。ここでの一晩は、マラガの一晩とは違うんだ。そして、危険な奴らは夜に活動するものだろう?」
「だって……潜むような場所は見当たらないわ。どこにそんな者がいると言うの?」
「ラドセイスの草原の蛮族は、突然現れては去っていくという。夜盗の類もそうだと思わないか?」
彼女を暢気だと思い、責めるようでもあった。
「常に最悪のことを考えておかねばならないんだろ? お前の思想では。」
彼は彼女が言ったことを持ち出した。いつものような揚げ足取りとも思える口調ではなかった。
彼女はまだ信じられなかったが、言い返せるほど事情に詳しいわけでもない。
しばらく行くと、街道の脇で休息している隊商に遭った。かなり大きな集団だ。リオネルは馬を止め、エレナに
「あれ。あの隊商と話をしてみよう。」
と言って、指さした。
エレナに異存はない。ただ、頷き返した。
難しい交渉をするまでもなく、隊商の主は承諾した。
「人数は多い方がいいからね。」
主はそれだけ言った。
だが、彼らはなかなか出発しない。その理由はすぐにわかった。
数人の商人が、五人の男たちを伴って戻ってきた。男たちは風変わりな武具を身に着けた戦士だった。
休息していた商人たちが腰を上げると、戦士たちは慣れた様子で、隊商の脇を固めた。
「放牧の民から護衛を雇い入れたようだな。これだけの大所帯でも、襲われる危険があるということなのだろう。」
リオネルはエレナに囁いた。
(それほど用心するの……)
彼女はぞっとした。
隊商の足は思いのほか速かった。そして、駆け通しだった。荷馬車の馬を替え替えし、その間もほとんど立ち止まることがない。
リオネルとエレナの二人乗りは、どうしても遅れがちになった。やがて、最後尾になった。
彼らのすぐ後ろを護衛が一人ついてくる。遅れる二人に、少し苛立っているように見えた。
Copyright(C)
2016 緒方晶. All rights reserved.