6.

 リオネルは小さく舌打ちした。
(来たか……)
 赤い石並びは、目の前なのだ。
(振り切る……? )
 しかし、いち早く追いついた官吏が立ちはだかった。鋭い目をしている。いかにも怪しいと思っている風だった。
「鑑札だ。」
 リオネルは静かに答えた。
「手形はない。」
 官吏の表情がますます厳しくなった。
「どこから来た? どこへ行く。何者か?」
 リオネルは震える内心を抑え込み、官吏の目を見て
「都から来た。ラザックシュタールを経由して、キャメロンまで旅する。」
と答えた。
 彼の意図通り、完璧に平静に見えた。そして
「俺はキャメロンの王国、クルジェの騎士の息子だ。」
と述べた。
 エレナはフードの下で顔を歪めた。
 官吏はじろじろとリオネルを眺めまわした。旅人たちがちらちら眺めながら通り過ぎて行く。
「クルジェ? その土地は知らんが、キャメロンの貴族がどうしてマラガの都に?」
「クルジェは、キャメロンの西の小さな土地だよ。もともと貧しい土地でね。何か新しいことをせねば、いよいよ経営が苦しい。だから、父がマラガに行って、商売の仕方を学んで来いと言ったんだ。」
 官吏は不審な目を向けたままだ。
「それで?」
「うん。都でいろいろ見聞きしていたが、故国で内乱が勃発した。知っているだろう? ……国許が心配で、取るものも取りあえず出発してきたんだ。」
「なるほど。だが、都からなら、船で帰国したらいい。普通そうするだろう。何故、遠回りする?」
「来るときに酷い目にあったんだよ! 外海があんなに荒れるとは思わなかった。もう沢山だね。地面に足がついているのが、どれほど有り難いことか、嫌というほどわかったよ。」
 リオネルは眉根を寄せ、長い溜息をついてみせた。ほとほと嫌気がさしたといった様子に見えた。
 官吏はじっと見つめ、考え込んでいた。
「それに、金があまりない。内乱のキャメロンに行く船だ。ふっかけられるだろう。」
 官吏は二人の格好をじろじろ見た。その理由の方が彼には腑に落ちるもののようだった。
「わざわざ危ない目に遭いに帰らずに、国が落ち着くのをマラガで待っていればいいのに……」
 その言葉が終わる前に、リオネルは怒声を挙げた。
「愚弄するか! 我が一族は貧しいとはいえ、由緒ある騎士の家系。俺は国の窮地に背を向けるような臆病者ではない!」
 官吏は驚き怯んだ。通行人が驚いて振り向いた。官吏は咳払いし、取り繕った。
「そういうつもりはない。……そうだなあ……。あんたは悪さをして逃げているようでもないし……。今のキャメロンが、マラガに間諜を送る余裕はないだろう。」
 そう言って、官吏は苦笑した。リオネルは内心ぎくりとした。それはエレナも同じだ。
(“悪さ”どころではないことをしてきたんだが……)
 リオネルは、もう行っていいと言うだろうと、半ば胸を撫で下ろした。すると
「その女は?」
と官吏に尋ねられた。
 リオネルはできるだけ軽い調子で答えた。
「俺の身の回りを世話する女だ。」
「そういえば、従者は連れないんだな。女だけとは……」
 官吏は首を捻っている。
「戦いに来たわけではない。盾持ちもいらないだろう? ……それに女の方がいろいろといい。」
 リオネルは、官吏ににやりと笑いかけた。
 官吏は呆れ顔になったが、エレナについて、それ以上の追究はしなかった。彼は少し惑ったようだったが、辺りを見回すと
「あんたに関わってばかりもおられん。行っていい。」
と言った。
「服務、ご苦労さま。」

 二人は境石を踏み越えた。心持ち足早になるのは否めなかった。




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