4.

 エレナの話は終わったが、リオネルにはまだ尋ねたいことがあった。レニエはどうなのか。新しい伯爵の下で、うまくいっていたのか。
 しかし、キャメロンが内乱に陥る前に国を出たエレナが知っていることは、さほどないだろうと考えた。
 彼は、彼女が寝台に腰かけたままなのにようやく気づいた。
「休まないのか?」
 彼女は巻いた毛布を見下ろした。毛布は一枚だ。身体を隠すために独占することはできない。だが、身体を見られるのは嫌だった。
「その火傷……まだ痛むのか?」
「……時々……」
「俺に見られるのは嫌か?」
 答えはわかりきっている。彼女は黙り込んだ。
 彼は半身を起こし、彼女の巻いている毛布に手を伸ばした。彼女は毛布の端を固く握りしめた。
 彼は彼女の頬を撫でた。柔らかく宥める動きだった。
「俺は以前、お前にこう言った。“お前ほど高貴な姫はいない。”……“高貴”とは何だ?」
「……何ものにも侵されない強い心。リオネルはそう言った。」
「そう。そして、俺はそれを愛した。顔や身体の皮一枚を愛したわけではない。」
「……ひとは愛でていたものに傷がつけば、残念だと思い、やがて前ほど大切には思わなくなるわ。」
「それが“傷”かどうか……」
 彼は彼女を見つめながら、毛布を握った彼女の手を撫でた。
「判断するのは俺だ。」
 彼女は彼を見つめ、指の力を緩めた。はらりと毛布が落とされた。彼の視線が身体へ落ちていった。
 彼女はぎゅっと目を閉じた。
 彼の指が首に触れた。彼女は息を詰めた。彼の指は首の火傷痕から、胸元のそれにゆっくりと移動していった。

 彼はほっと息をつき
「楓。赤い楓の葉のようだ。秋の森の地面に散った紅葉のようだよ。」
と言い、鎖骨に唇を寄せた。
「止めて!」
「何故? お前が思っているようなものではない。とても美しい。」
「美しい? 火傷は火傷よ。」
「俺はお前がさっき言った“ひと”とは違うようだな。残念だとも思わなければ、大切ではなくなりもしない。そもそも“傷”だとすら思わない。」
「傷ではない? だったら、何と呼ぶのかしら?」
「お前の生き抜いた証。戦いで得た誉れだ。」
 彼女は歯を食いしばった。
(慰めの言葉……? 無理をして言っているのではない? )
 彼女は彼の顔を見つめ、感情の揺れを探った。彼は視線を逸らすことはなく、むしろ彼女をじっと見つめ返した。真摯な目だった。
「……ありがとう、リオネル。」
 彼女がぽつりとそれだけ言うと、彼は照れくさそうに微笑んだ。
「以前レニエで、婚礼をしようと言ったら、お前は嫌がったな。塔へ登って、俺を困らせた。今もそうなのかな? それとも、あの時婚礼をしておけばよかったと思っているのか?」
「……少なくとも、塔には登らないわ。」
「それは、俺と結婚するということか?」
「……そういう運命だと思っている。」
 彼は失笑した。
(どうにもこうにも……。易々と組み伏せられるわけはないと思っていたが、粘りに粘るのだな……)
「何が可笑しいのよ?」
「いや……」
 彼は、むくれる彼女の手を取り、両掌で覆った。
「この結びつきに、大地の神の恵みがありますように。」
 彼女は、空いた方の手を彼の手に重ねた。
「レニエの鬼神の加護を祈るわ。」
「“我は常に共に在る”。」
「では、何も困らないわね!」
 彼女が笑いかけると、彼はにやりと笑った。
「いや、困ったことが二つある。」
「え……?」
「馬が一頭しかない。服を得るのに一頭売った。」
「お金は用意していたんじゃなかったの?」
「突然の出発だったんだ。慌てて城を飛び出して、そのままここまで来たんだろ?」
「それはそうだけれど……。詰めが甘いわよ、リオネル・ドナシアン!」
「厳しい奥方だな! ……まあ、無駄遣いをしたわけではないのだから、それ以上責めるなよ。」
「……もうひとつは?」
「そっちの方が大問題だ。……これを何とかしてくれ。」
 彼は彼女の手を取って、自分の身体に触れさせた。
 彼女は驚いて手を引っ込めた。そして、彼の胸をつつき
「こんな時に……何考えているのよ!」
と大笑いした。
 彼は彼女を抱き寄せ、寝台に横たえた。
「愛している。」
 彼女の頬を撫で
「お前は?」
と尋ねた。その声は欲望に掠れていた。
 彼女はくすぐったそうに小さな笑い声をたてた。




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