9.

 村でのリオネルの評判はわかった。忌々しいことに、皆に好かれている。
 でも、もう一方の領民はどうなのか。港こそレニエの力の源泉だと、リオネルは言った。
 エレナはそちらの方が重要なのだと思った。

 港はいつも忙しそうだった。だが、皆は開放的で、エレナを見ると笑顔で挨拶をくれた。
 港でも、リオネルの評判はおしなべてよかった。
 博打の好きな水夫は
「父君のサーシャさまも悪いお人ではなかったが、リオネルさまのように、勝負に出る気概はなかったね。」
と評して
「気風がいい。お貴族さまなのにさ。俺なら、サーシャさまではなく、リオネルさまに張る。」
と笑った。

 城にいるときも、我慢して彼の居間に居座った。商人と会っている時にすら同席を願った。
 取引の密談を聞かれたくないのか、商人たちはエレナによそよそしく、リオネルにそれとなく訴えかけたが、彼は同席を許した。
「奥方も、取引相手とは誼を結んでほしいからな。俺に何かある時は、奥方と代わりに話ができるなら、心強い。何もなくとも、二人で相談できれば、これまた心強いことだからね。」
 彼はそう言って微笑んだが、彼女を見る目には試すような光があった。
(私には無理だと思うの? できるわよ! ……でも、そんな日は来ない。お前の奥方になる日などね!)
 そんな内心を押し隠して、彼女はにこやかに
「ええ、そうね。皆と話すのは楽しいし、学ぶことが多いわ。」
と答えた。
 リオネルは
(見え透いたことを……。何を考えたのか知らないが、まあ……大人しく学ぶ気になったのはいいことだな。いつまで、大人しくしているのかはわからないがね……)
と、知らず知らずに鼻を鳴らしていた。
 すぐさまエレナが気づいて、ぎっと睨んだ。リオネルはもちろん、商人たちも彼女の様子をじっと見ていた。
(おやおや……それだからお前は……。鋭い商人は俺たちの仲を観察しているんだから、ダメだよ、そんな顔をしては……)
 彼は苦笑して、商人たちに
「すまないな。エレナは誇り高くてね。“なら”とか“かも”とかいう言い方は大嫌いなんだ。」
と言い、エレナに向いて
「俺が悪かった。エレナは必ず俺の力になってくれるはずだよ。」
と言った。
 彼女は彼の表情を読み、商人たちの手前、相応しい態度で
「ええ。もちろんよ、リオネル。いろいろ教えてちょうだい。皆もよろしくね。」
と鷹揚に答えた。
 商人たちは微笑み
「仲睦まじいですな。」
と言った。
 彼は、彼女が取り繕ったことに少し驚いた。目に称賛の色をかすかに浮かべると、彼女は目を伏せた。
“うまくやったでしょう? ”
といった様子だった。

 商人たちが帰ると、リオネルは
「うまく合わせてくれて助かったよ。」
とほっと息をついた。
「では、私が勝ちをいただいたということね。」
「いや。お前が失敗していたら、商談の席から遠ざけるだけのこと。商人たちには“奥方は取引には向かない”と言うだけのことだ。お前は彼らに軽んじられる身になり下がるということさ。お前にとっては、損なことではないかな?」
「お前が私を嘲笑うような態度だったから、ああなったんじゃない! 感謝しなさいよ。うまく取り繕ったんだから!」
「今のお前なら、そのうち馬脚を現す。むしろ、俺がお前に合わせたと言うべきだね。」
「勝手な言い草!」
「いいじゃないか。お互いにうまく誤魔化せたんだし。」
 リオネルがにやりと笑って、エレナの目を見つめた。彼女は睨み返したが、やがて笑った。
 商人たちを出しぬいたように思った。成功したのか、失敗したのかはさだかではないが、愉快だった。
「今のはマラガの商人?」
「ああ。抜け目ないんだ。彼らは、大食やセリカの商人とも取引をする。損をしないように注意深いんだよ。ラドセイスの草原の大族長とも商売をするんだ。草原相手はもっと注意深いだろう。何かあれば、一族郎党全員、命がないからね。」
「……商人も命がけなのね。」
「そう。戦いに出る貴族や兵士だけが命がけだと思っていたか? 皆、生きるのは命がけなんだよ。」
 リオネルは立ち上がると、窓辺から外を眺めた。エレナを招くと
「海だ。今度、一緒に海を見に行こう。」
と指差した。
 海を見つめる彼は眩しそうだった。陽光に目を細めているだけではないのが、エレナにもわかった。
「ええ。」
 彼女の承諾に彼は一瞬目を見張り、実に嬉しそうに微笑んだ。いつもの皮肉な嘲笑交じりの笑みではなかった。
(不思議な青い瞳。海のよう……そう、海。暗い夜の海色。晴れた日の明るい海色。リオネルはこうして笑うと……)
 エレナは、その後を言葉にするのを慌てて止めた。だが、彼女の努力も空しく、心は既に言葉を紡いでいた。



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