6.

 黄昏に包まれるころ、リオネルは城に帰ってきた。
 マラガからの荷は問題なく届いた。満足だった。執事に軽い食事を頼むと、自分の棟に向かった。
 途中でニーナに鉢合わせた。彼女は彼に含み笑いをし、黙ってすれ違った。彼はいぶかしく思いながら、居間の扉を開けた。
 燭台と壁に挿された灯りしかない室内は、それほど明るくはないはずだった。それなのに、眩い光に照らされているように感じた。
 居間の真ん中に、エレナが立っていた。
 娘らしい可愛い紅色の衣装をまとい、赤い髪が艶やかに灯りに煌めいていた。
 彼女はゆっくりと歩み寄り
「お帰りなさい、リオネル。」
と微笑みかけた。
 白い肌の温みに命を吹き込まれたように、エメラルドがより深い緑色に輝いていた。
「どう?」
 エレナは勝ち誇ったように、胸を反らしている。

 彼は近寄り、彼女を黙って見下ろした。彼女が戸惑うほど真剣なまなざしだった。沈黙が流れた。
(何? 見定めている……?)
 彼は首飾りに目を落とし、手を伸ばして触れた。そして、彼女の目を見つめながら、首飾りの周囲を指で撫で始めた。ゆっくりと指が首飾りと肌を撫でていく。
 彼女は息をつめた。鼓動が速くなるのを感じたが、目を逸らすのは負けた気になる。気を奮い立たせて、彼の目を見つめ続けた。
(暗い青色。冷たい色のはずなのに……炉に燃える青い炎の色? )
 すると、彼はふっと笑い
「その衣装は良くないな。色が軽すぎる。」
と言った。
 彼女はほっとした。さっきの彼は恐ろしかった。対処できない。いつものように笑いながら、皮肉なことを言われた方が楽だった。
「あら、都では赤が流行りなのよ。知らないの?」
「クルジェの田舎娘が知っていることは、当然知っているさ。流行りが何だ? お前の赤い髪は派手やかだから、その色を着ると、けばけばしいぞ。もっと、落ち着いた色がいい。」
「お前の年寄りじみた趣味には付き合えないわ!」
「そうか。着こなす自信がないということだな。」
 リオネルににやりと笑われると、エレナの闘争心が再び燃え上がった。
「着替えてこい。……そうだな……お前は緑色が似合う。確か、深緑色の襟の広いのがあったはずだ。それに着替えてこい。」
「衣装櫃の中身までご存知なのね。お好きではない軽薄なものまでお揃えになって。レニエの伯爵さまは、ずいぶんとお金持ちでいらっしゃる。」
「流行りもののひとつも入れておかねば、知ったかぶりの田舎娘に笑われるからな。」
 エレナは裳裾を翻して、大股に部屋から出て行った。
 リオネルは彼女の後ろ姿を笑いながら見送った。
(あんなに裾を乱してはいけないな。着替えてくるのか、そのまま引っ込むのか……?)
 彼女がこのまま引き下がるわけがないと、彼にはわかっていた。

 半時ほど後。乱暴に扉が開き、エレナが早足で入ってきた。
 リオネルが指定した通りの衣装を身に着けていた。彼は目を見開いた。
(美しい……! )
 そう言う間も惜しく、彼は彼女を抱きしめると、口づけをした。驚いている彼女に、更に深く口づけた。
 甘美な感覚が湧きあがったが、リオネルは慌ててエレナを押しやった。
 彼は、自分の唇を指で撫でて見た。指先にうっすらと血がついていた。
「お約束だね。俺の思い通りにはならない……だろ?」
 彼はにやりと彼女に笑いかけた。彼女は眉根を寄せて睨んだ。
「当たり前でしょ! 今、お前は私を見て、驚いた……えっと……そう、何だか嬉しい様子だったわ。」
「ああ。美しいと思った。やっと言うことをきいてくれたと、嬉しく思ったよ。」
「だったら……。お前のやり方では、喜ばせたら勝ちなんでしょう? 私の勝ちということよ。お前の負け。なのに、私に触れた。反則!」
 リオネルは失笑した。エレナの眉尻が上がった。彼は、彼女が何か言おうとするのを遮り
「ああ、そうだな。でも、匂うように美しいから、ついついね。我慢できなかった。仕方ないじゃないか。生身の男なんだ。愛しい女に欲望を感じて、何が悪い?」
と言い、また抱きしめて、彼女の鎖骨に口づけた。
 彼女は彼の胸を押しやった。
「離してよ。お前は愛しいかもしれないけど、私はそうじゃない。」
「そう? どうして、顔を赤くしているの?」
「怒っているからよ!」
 彼女は彼の胸に拳を打ち付けた。彼は苦笑して身を離した。

 彼女は早足に彼から離れ、後ろを向いた。どきどきと高鳴っていた。怒りももちろんあったが、それだけではなかった。
 すると、リオネルが小さく呟いた。
「……これ以上はしないよ。」
 静かな声だった。寂しげに聞こえた。彼女が振り返ると、彼は切なそうな目を一瞬彼女に向け、ぷいっと横を向いた。
 意外な顔だった。
「摘む程度の食事がくる。……少し食べないか?」
「いい。いらない。」
「……一緒にいたいんだ。」
「……お断りするわ。一時も、お前といるのはご免したい。」
「哀しいな。そんなに嫌か?」
「ええ。今すぐにでも、逃げ出したい。」
「逃げ出すつもりか?」
「それもいいわね。」
「クルジェに逃げ帰るのか?」
「私の行くところは、そこしかないわ。」
「クルジェの騎士はお前を迎えないと思うよ。思い出してごらん。お前の父は、今度のことに反対したか? お前の母は嘆き悲しんだか? ……むしろ、勧めたのではないか? 突然の別れを哀しむことはしたが、いい縁だと言わなかったか?」
 リオネルの言う通りだった。黙るしかなかった。
「ニーナは気に入っているか?」
「……ええ。いい子だわ。好きよ。」
「お前が逃げ出したら、ニーナはどうなる?」
 それは、ニーナが哀しむと言っているのか、罰を与えるという意味かわからなかったが、彼女に迷惑はかけたくない。
 エレナは、何を言っていいのか迷いながら、開けられた窓の外を眺めた。木立の先に陰気な塔が見えた。
「あそこの塔。あれに私を閉じ込めたら?」
「あれはダメだね。」
「おあつらえ向きじゃない? 不気味な古い塔。恐ろしくなって、お前の言うことを聞くようになるかもしれないわよ? 封じてあるの?」
「どこに閉じ込めても、お前が変わるとは思わないね。……あれは鎖してはいない。いつでも誰でも入れる。だが、何時も誰も入らない。」
「どうして?」
「あの塔には神が棲んでいる。荒々しい神がね。何人たりとも侵すことは許されないんだ。」
 リオネルの口調は密やかで重々しかった。怖がらせようと言っているだけかと思ったが、それだけとも思えなかった。



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