5.

 エレナは、リオネルの言う通りにするのは忌々しかったが、負けるわけにはいかない。常に気を張り、彼の突然の攻撃に備えなければならないと思った。
 その一方、彼のしたことを思い出すと、心の片隅に何とも説明のつかない気持ちがあった。しかし、それが何なのか考えてはいけない気がした。
(とにかく……これ以上触れられるわけにはいけない。油断してはいけない。)
 彼女は固く構えた。何か話しかけられても、感情が滲まないように短く答えるようにした。
 だが、リオネルはあの夜以来、一向に勝負を仕掛けてこなかった。
 彼の依頼したいろいろな教師が、彼女の許を訪れた。それは、所作、舞踏、楽器、文学など、多岐にわたった。彼の思う通りに躾けられるとしているようで忌々しかったが、貧しいクルジェでは学ぶことができなかったことだ。無駄なことではないと自分に言い聞かせ、教養を身につけることに勤しんだ。
 
 その朝、二人はいつものように食卓を挟んで座った。
 エレナの表情は固く、じろりとリオネルを一瞥したきり、黙ったままだ。
 彼は、こっそり苦笑した。
「そう言えば、エメラルド。お前に贈った首飾りと耳飾り。つけているところを見たことがないが、捨てたのか?」
 彼女は上目づかいに彼を睨み
「捨てるですって? そんなことするわけないでしょ。」
と低く呟いた。
「気に入ったのかな?」
「ええ、素晴らしいわ。あのエメラルドはね! 誰が贈ってくれたのかは、別な問題よ。でも、少し年寄りくさい趣味ね!」
「お前よりは年上だが、年寄りとは心外だね。十歳上なだけだよ。」
 エレナは少し驚いた。彼は歳より、ずっと若く見えた。悟られぬように平静を装った。
「その歳まで独身だったなんてね。いくらでもあった縁談は、相手から断られたのかしら? 私とも同じ結果になるのだから、早々に諦めてクルジェに帰してほしいわ!」
 挑戦的な口調に、彼は失笑した。彼女は途端にむっとした表情になった。
(わかりやすい娘だね……)
「何よ!」
「大声を出すもんじゃない。素晴らしい朝じゃないか? 怒鳴り声で台無しにしないでほしいな。」
「お前が不愉快になるなら、私は何でもするわよ!」
 リオネルは一頻り笑った。
「お前はいつも、正面から俺にぶつかってくる。それではいけないな。勇気は認めるが、もっと搦め手から攻めないとね。せめて、俺を油断させてぎゃふんと言わせるとか……ないのか?」
 何を言っても、悪態をつこうと、リオネルは毛ほどにも感じない素振りだ。エレナは憎々しげに睨んだ。その時、ふと思いついたことがあった。
(そうね。お前と同じやり方で、ひとつ勝ちをいただくわ。)
 思わず笑みがこぼれた。こっそりリオネルをうかがうと、俯いてチーズを切り分けている。気づいていないようだった。
「……今日は? お前はまた港に出かけるの?」
 いつもはしない質問だったとひやりとしたが、彼からは軽い答えが返ってきた。
「そうだな。マラガから荷が着くからね。夜更けには帰ってくる。」
 エレナは、何も気づかれなかったようだとほくそ笑んだ。
 リオネルは部屋を出ると、にっと笑った。
(下手くそな策略を考えついたようだね。その可愛い頭の中で何を考えたのか……帰ってくるのが楽しみだね……。)

 リオネルが出かけると、エレナはニーナと一緒に、衣装を選んだ。用意されていたたくさんの中から、ニーナは若々しく華やかな薄紅色の衣装を勧めた。エレナは少し派手なのではないかと思ったが、ニーナは赤い色が都では流行していると言った。
「リオネルのくれたエメラルドを出して。」
「えっ! お召しになるのですか?」
 ニーナは、しまい込んだまま見向きもしなかったのにと、驚いた。
「ええ。それをつけてリオネルを出迎えるのよ。」
 エレナはニーナに微笑みかけた。ニーナはいぶかしげな視線を向けていたが、言う通り持ってきた。
 衣装の上に首飾りを置いて見て、エレナは少し違和感を持った。じっくり眺めたが
(新しい物が好きそうだから……これでいいわ。)
と考えた。
「お風呂に入るわ。用意して。化粧と結髪の用意もしてね。」
 ニーナはまた驚いたが、ようやくリオネルに親しむ気になったのかという納得に落ち着いた。
 彼女が嬉しそうに頷くのを見て、エレナは少し後ろめたかった。
 ニーナはエレナの髪を梳り、コテを当て、複雑な形に結いあげた。したことのない化粧をおぼつかない手つきでするエレナを助けて、念入りに整えた。
 選んだ衣装を着付け、耳飾りと首飾りをつけ、ニーナは難しい顔をして、エレナの周囲を回って、仕上がりを確認した。
 衣装の襞を手直しし、首飾りの向きを整え、ニーナはやっと満足げに
「できました。これでいい。とても美しいわ……本当に! 肌が白くていらっしゃるから、赤い色がお似合い。」
と微笑んだ。
(ニーナは……いい子だわ。……ごめんなさい……)
 じくりと罪悪感が疼いた。



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