3.

 エレナが城へ帰り着いた後、リオネルはやっと城に帰還できた。
(さて……俺の花嫁は、どんな顔をして迎えてくれるかな……? ものすごい敵意を見せてくれそうだ。)
 そう考えると苦笑した。
 彼は身体を洗い、髭を剃り、主らしい身なりに整えると小姓に
「エレナと食事をするから、そのように整えよ。」
と命じた。
(楽しく、これまでにない美味い食事ができそうだ。)
 彼は高笑いした。

 エレナの許に、リオネルの申し出が伝えられた。
「お食事ですが……」
 小姓が言いかけるのに、彼女は重ねて
「食事ですって!」
と言い、腕をもみ絞った。
 だが、最初の対面に食事を共にするのは、特に不自然でもない。リオネルがどんな男なのかも興味がある。承諾した。
 エレナの居間に、足台が運び込まれ、卓の板が載せられた。亜麻布が敷かれ、食器が整えられた。
 ニーナに促され、食卓についた。
 彼女は居間の扉を睨み、リオネルの現れるのに構えた。
 焦れる時間が過ぎた。
 やがて、触れもなく、扉が重い音を立てて開いた。

 現れたのは、青い上着に、金の飾り帯を巻いた黒髪の若い男だった。
 エレナは驚き、立ち上がった。がたりと椅子が倒れた。
「あなたは……あの時の王子さま……よね?」
 彼女は、クルジェの森で、彼女とユーリを助けた男のことははっきりと覚えていた。
 子供のころには、もしかしたら迎えにくるのではないかと夢見ていたことを思い出した。もう夢に期待する歳ではなかったが、彼女にとって、あの時の彼は依然として憧れの王子だった。
「王子?」
 リオネルは片方の眉を上げ、エレナをじっと見つめた。
「クルジェの森で助けてくれた……」
「ああ。君にとっては大事な思い出だろうね。するつもりではなかったが、私にとっても大事な思い出になった。」
 彼は近寄り
「だが、残念ながら王子ではない。伯爵だ。レニエの伯爵、リオネル・ドナシアン。初めまして、私の花嫁。」
と言って、彼女の手を取った。
 彼が手の甲に口づけしようとすると、彼女は慌てて手を引っ込めた。
「お前がリオネル・ドナシアン……」
「“お前”? またひとつ格下げになったか。では、俺もそれなりにしよう。」
 彼はにっと笑い、再び彼女の腕を取ると、胸元に引き寄せた。片手が彼女の腰に回された。どきりと胸が高鳴った。それを圧し込めるように、エレナは
「何をするのよ! いきなり!」
と大声を出した。
 そして、彼の胸を押しやり、できるだけ離れようともがいた。
「何を期待したのかな? 熱い口づけ?」
 彼は愉快そうに笑い、帯に挿していた花を取ると、彼女の目の前にかざした。生花ではなかった。赤紫色の花弁の造花だった。金の針先に小さな真珠がついた五本のピンが、花芯に見立てられていた。
 彼はそれをくるくる回し、彼女の髪に挿した。
「黒すぐりで染めた。元はお前の手巾だよ。どうだ? いい工夫だろう?」
「“お前”ですって!」
「お前と同じに話しているだけだが? さっき言っただろう? そうするって。」
 エレナは唇を噛んだ。
「どうした? 言い返さないのか? ……それに、“お前”と言われたことに拘るとはねぇ。お前がもっと気に入らない単語を口にしたのに、そこなのか?」
 リオネルはエレナを解放すると、倒れた椅子を起こし、座るように促した。

 二人は向き合って座った。
「気に入らない単語? 何?」
「”私の花嫁“。」
 彼女は卓に手のひらを叩きつけた。
「立ち上がらないでもらいたいな。また椅子を起こしに行くのは面倒だ。」
 彼女が怒りに言葉を失っていると、彼は
「執事や召使い、水夫にも聞いたよ。お前がどんなに俺を憎らしげにしているかってね。」
と軽く笑った。
「……当たり前でしょ。ひとの窮状につけこんで。何が“私の花嫁”よ! 私はお前の花嫁などではないわ。」
「おお、すごい怒りようだ。怒るお前は美しいな。緑色の瞳が煌めいて。赤い髪が情熱的で。微笑むところはもっと美しいだろう。」
「私が微笑むとしたら、レニエを去る時だけね。お前と二度と会わないで済む時よ。」
 彼女が怒れば怒るほど、彼は楽しげだ。
「今朝は俺に笑いかけたのにね。」
「今朝?」
「お前に手を上げたら、お前は俺に笑いかけた。」
「……階段のところにいた水夫!」
「そう。汚い格好だったからな。わからなかった?」
「格好も汚かったけれど、やり方はもっと汚いわね、リオネル・ドナシアン!」
「次にお前が微笑むのは、俺の腕の中だ。お前は俺を愛するようになる。」
 エレナはかっと紅潮し
「……自信家の伯爵。天が落ちてこようとも、お前など愛さないわ!」
と低く呟いた。



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