9.

 オクタヴィアは、城の者にリオネルを“夫”だけ紹介した。
 皆は、領地もなく称号もないばかりか、家名すら定かにされない“夫”に戸惑った。おまけに、足許は囚人のように鎖で結ばれている。まともな夫婦の仲ではないのは明らかだ。誰もが訝しんだ。
 やがて、リオネルの言葉にキャメロンの訛りがあること、所作の卑しからぬことが判ると、オクタヴィアが懸想していた“レニエの伯爵”だろうと見当をつけた。
 皆はますます不審を覚えた。しかし、裏が深そうだと、問い質すのを憚った。彼らは、リオネルと近しくなるのを避けた。
 オクタヴィアは、彼に中年の騎士をつけた。騎士はタイランと名乗った。そして、キラナを根とし、代々の領主に仕えてきた一族の出身だと誇らしげに言った。

 タイランは最初こそよそよそしく遠慮していたが、次第にリオネルの正体が気になって仕方がない様子を見せた。リオネルが、皆が当てをつけている通り、レニエの伯爵だと明かすと、タイランはじっと足許の鎖を見つめた。
「気になるのか?」
 リオネルは脚を軽く上げて見せた。タイランは曖昧な笑みを浮かべた。
「シビウでは、何度も逃げようとしたからね。」
「……何故、シビウに?」
「そうだね。レニエの伯爵がレニエではなく、シビウにいたことから語って聞かせねばならないな。」
 タイランは興味深々な様子だ。リオネルは苦笑し、続けた。
「俺は謀反を企てて、処刑されるところだったのだ。」
 言い終わるやいなや、タイランは大きなため息をついた。リオネルを見る目が厳しくなった。
(どうやら、国に忠実な男らしいな……)
 リオネルは静かに言葉を継いだ。
「そういう風になっている。だが、事実ではない。王と俺をはめた者がいるのだ。」
「どうやって?」
「密書だよ。偽の密書。キャメロン訛りのラドセイスの大公が書いた密書が出てきたのだ。」
「何故、そんなことが?」
「キャメロンの王国が強固になっては困る者がいるのだ。キャメロンでは、王と諸侯がいがみ合っていなくてはならないそうだよ。」
「誰がそんなことを望むのです?」
 リオネルは間を置き、声をひそめて
「王弟さま。」
と言って、タイランの顔をじっと見つめた。
 タイランは、リオネルに強い視線を向けた。

 ややあって、タイランは目を逸らした。厳しかった表情が少し緩んでいた。
「……それを私が信じるとでも? 誰が企んだにせよ、王は殿さまのそれまでの行状を鑑みて、その密書を信じたのでしょう? それだけのことをしてきたということです。」
「自分ではわからないな。だが、高貴な方々がいつも正しく強いわけではないのは、よくわかったよ。」
 リオネルがにっと笑い掛けると、タイランは苦い顔になった。
「殿さまのおっしゃる話を信じるなら、王弟さまは、あなたが謀反人として処刑されるのを見通しておられた。生き延びてここにいらっしゃるのは、どういうわけなのです?」
「オクタヴィアの一存だね。獄死したことにして、シビウに匿ったのだ。」
 タイランはまた鎖を見た。そして、眉をひそめた。
「それならば、恩あるオクタヴィアさまの願いを聞き入れて、ご夫婦として仲睦まじくお過ごしになられればよいのでは?」
「キャメロンに二世を誓った恋人があるのだ。……そなたは無理強いされた夫婦になって、幸せでいられる男なのか?」
「……諦めることも寛容かと存じます。」
「そうかもしれないね。……それにしても、王弟さまはいろいろと策の多い方だな。」
 タイランは唇を噛んで、それには応えなかった。

 タイランの表情には、王弟を侮辱された怒りはない。むしろ、王弟の企みの多いことを知っていて、またかと苦々しく思っている風だった。
 生粋のキラナの騎士は、キラナとマラガの王国には忠実だが、王弟にはそうではないのかもしれないと思わせた。



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