6.

 マラガの国の表は、南岸である。都は少し内陸に入ったところにあったが、多くの人々が暮らすのは南の海辺だった。
 そこには、港街が幾つもある。大商人の大きな船が何隻もある港から、ほんの小さな漁村まで、どの港も賑やかだった。

 今朝も、沢山の島影の間をぬって、船が行き来している。その港も荷の積み下ろしで混雑しており、喧騒に満ちている。
 豪商、王や諸侯の倉庫が立ち並び、卸、仲買人の店舗が寄せ合って建っている。その間を荷車や馬車が、ひっきりなしに行き交えっていた。
 静かな湾に流れ込む川は整備され、護岸が石で固められている。川辺に下りられるように作られた一画で、数人の女が洗濯をしていた。
 上の道端では、商人たちが話をしていた。入港した船主と取引する商人のようだ。書類を覗きこんで、話し込んでいる。
 陽が中天に近づいた。洗濯を終えた女たちが、荷物を抱えて川から上がってきた。商人たちも、長い商談を終えようとしていた。
 船主が別れを告げ、歩き去ろうと振り向いたところに、洗濯ものを抱えた女がぶつかった。
 まともに身体が当たり、女は弾き飛ばされた。船主と商人は慌てて、彼女を助け起こした。
「大丈夫か?」
 女は何も答えなかった。
 船主は、俯いた彼女の顔を覗きこんだが、それ以上は尋ねなかった。散らばった洗濯ものを集め、彼女に黙って渡した。
 女は礼も言わずに駆け去った。
 船主は眉をひそめ、商人に尋ねた。
「あの女は? 見ない顔だ。」
「盛り場の洗濯女ですよ。半年ほど前にふらりと現れてね。憐れに思った楼主が雇った。」
「愛想のない女だ。」
「まあね……。話も笑いもしませんわ。まだ若いだろうに……」
「酷い目にあったんだろうね。」
「楼主によると船火事にあったようだとか。可哀想にね。」
 商人は気の毒そうに嘆息したが、船主は違った思いを抱いていた。
 助け起こした女の顔には、赤く引き攣れた火傷の痕があり、袖まくりした腕にもあった。覆い布から零れた髪は焼けて縮れていた。
 若い娘なら消沈し、卑屈になっても仕方ないような容姿だ。
 しかし、彼に向けた眼差しは強く、憎んでいるかのようだった。らんらんと光る緑色の瞳に気圧され、彼は助けようとした手を引いたのだ。
 船主にも可哀想という思いはあったが、商人の言うそれとは種類が違っていた。容姿の無残さではなく、そのような目にさせた境遇が憐れだった。
「船火事か……。俺も気をつけるとしよう。」
 そう言って、二人は別れた。

 エレナは路地裏で足を止めた。火傷の痕が少し痛んだ。しばらく蹲り、痛みが去ると、籠を下ろし、落ちた洗濯ものの汚れを確かめた。
 付いていた砂を払い落し、ほっと息をついた。
(船乗り。船乗りだったわ、あの男。)
 彼女は身を抱き締め、身震いした。
 放火した船に乗っていた男たちの行方はよくわからないが、船乗りが近寄ると身が竦んだ。それで、彼女は何度も港街を渡り歩いていた。
(あの時の男たちが、今どき現れるはずがないわ……。私を見てもわからないはず……)
 彼女は、しばらくそこで気を落ち着けて、雇い主のところへ帰った。

 エレナが寄っているのは、盛り場の大きな店だった。
 船が入るたびに、船乗りが大挙してやってくる。容姿を損なった彼女が、客の相手をすることはない。彼女は、台所の下働きをし、掃除をし、客や伎女の汚れものを洗濯するだけだった。
 あの船の生き残りに遭遇することは恐ろしかったが、そこで働いていると都合がよかった。
 船乗りたちは、新しい情報と共に店にやってくる。彼女は、食堂で飲み食いしながら話される内容を聞きとめた。また、伎女同士が聞かされた寝物語を披露し合っているのを盗み聞きするのも、有益だった。
 それらから、キャメロンで内乱が起こることを知った。内乱は大きくなり、母后や王の弟たちも王に敵対していること、王の側が圧されていることも聞こえてきた。
 彼女は咄嗟に、ユーリとレニエのことや、クルジェのことを思い浮かべたが、あれこれ案じるのは抑えた。
 ただただ、オクタヴィアの動向が聞こえてくるのを待った。



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