5.

 王子が出て行くと、入れ違いにオクタヴィアが入ってきた。
 話の終わるのを待ちわびていた様子だ。
 リオネルは彼女を一瞥し、彼女から離れて、窓辺に立った。そして、単刀直入な問いを投げかけた。
「君は父君の考えを知っているのか?」
「伺いましたわ。でも、わたくしがすべきことしか覚えていませんの。」
 彼女は楽しげだった。
「賢いな。余計なことまで覚えていると、何をしなくてはいけないのか忘れてしまうかもしれない。」
「ええ。簡単なことですわ。あなたと子を成すだけのこと。簡単で、楽しい仕事ではありませんか。」
 彼女は彼の側に立った。
「でも、少し……」
「何? 罪悪を感じるのか?」
「どういう罪悪?」
「君の伯父君や従兄弟が殺される。」
 彼女は笑い出した。
「それは、わたくしの関知することではありませんもの。罪悪など感じませんわ。わたくしはただ、マラガの次の王を産むだけ。」
「難しい仕事だね。」
「ええ。少し難しいと申し上げようと思ったの。マラガはキャメロンと同じく、女子が王位に就くことはできません。わたくしは男の子を産まねばならないわ。リオネル、頑張ってね。」
「……我が息子が王になるのかと思うと、身が竦んで、とてもじゃないが役に立たないよ。」
「あなた、そんなに気の小さい男ではないでしょう?」
「買い被りだね。小鳥のような心臓だよ。」
「そう? では、早速試してみましょうか?」
 彼女は彼にしなだれかかり、潤んだ瞳で見上げた。

 彼は彼女の肩を押しやり、窓の板戸を開けた。窓の外は海だった。
「ああ、海だ。ここは、崖のすぐ上に当たるのか。」
「ええ。あなたのお好きな海よ。だから、ここにしたの。」
「いろいろと配慮してくれたのだな。ありがとう。」
 彼女は、窓と彼の間に身体を入れた。
「でも、海ばかり見ていては嫌です。わたくしのことをご覧になって。」
「馬車の中で、膝を突き合わせていた。君のことばかり見ていたから、今日は海を見るよ。それに、長旅で疲れた。吐き気がする。」
「無理もありませんわ。ゆっくり寛がれて……。」
「寛げるかどうかわからないな。シビウにいるのと変わらないんだから。」
「あら、ここでは自由ですわ。村でも森でも畑でも、お出かけいただけます。」
「鎖つきで?」
「それは……」
 彼女は少し考え込んだ。彼はじっと見つめた。彼女が常の考えをするだろうかと賭けた。
(キャメロンまでは、そうそう逃げ出せないぞ、普通はね……)
「まだ、ダメ。」
 彼女は残念そうに眉をひそめた。
 彼はため息をついた。大いに期待していたわけではなかったが、がっかりした。
「君と名実ともに夫婦になるまで、ダメなんだね。」
「ええ。……お湯を用意させましょう。沐浴なさって。それから……その髪、少しお切りになったら? まるで、ラドセイスの草原の男みたいよ?」
「そう? 奇抜でいいじゃないか。切らないことにしたんだ。奴らみたいに編んで垂らすことにするよ。……湯をもらう。」
 彼は椅子を窓辺に据えると、じっと海を眺め続けた。会話を拒否する態度に、彼女は苦笑して出て行った。

 湯が用意された。リオネルは、沐浴の世話を断った。
 一人ぼんやり湯に浸かり、今後のことを考えたが、逃げる方法など考えつかない。
(エレナはどうしているのだろう? 俺を死んだものと思っているのだから、そろそろ落ち着いて、身の振り方を考えているだろうか? 或いは、もう誰かに縁づいたのか……? )
 エレナが決心していたなら、出ていけたとしても、今更どうしようもない。
(すっかり過去のことになったのか……?)
 問いかけると辛かった。
 エレナの赤い髪、エメラルドに似た緑色の瞳、抜けるような白い肌。思ったままが出る言葉と表情。
 悉く対立し、拒否されたこと。それが楽しかったこと。
 知らぬうちに、小さな笑い声が出た。
(ま、俺も悉くオクタヴィアを拒否しているわけだが……)
 彼はオクタヴィアのことをよくよく考えた。処刑の憂き目から救ってくれたことは、感謝しきれない。シビウでもここでも、充分に世話を焼いてくれる。それも感謝しなければいけないだろうと思った。
 彼を見る切ない眼差しに、作り事を思わせるものは何もない。
(愛されているのか、我を通したいのか……? どこからが愛で、どこからが我執なのか……?)
 彼は、自分がエレナにしたことと、オクタヴィアが自分にしていることの違いを考えた。
「俺はオクタヴィアと同じことをしていたのかもしれん……彼女と俺は似ている……?」
 虚空に呟くと、混乱した。

 彼は寛衣をまとい、また海を眺めた。
「レニエに繋がる海だが、マラガで眺めるのは違うな……」
 彼は辛くなり、海から目を背け、立ち上がった。伸びたままの髪を、海風がさらりとすくって行った。彼は髪を押さえた。
“帰りたいか?”
 心に浮かんだ小さな問いかけに、彼は自分に立ち返った。
「……帰る。諦めない。」



  Copyright(C)  2016 緒方晶. All rights reserved.