4.

 オクタヴィアの領地に入った。
 オリーヴ畑と、小さな葡萄畑のあるのが見えた。明るく強い陽光の下、人々が働いている。
 白い壁と藁葺の民家が立ち並ぶ村。軒先に年寄りや女たちが座って、農作業をしている。子供が家々の間を走り回っていた。長閑な様子だ。
 レニエの村も似たようだった。リオネルは望郷に駆られた。
 村の先には小さな城がある。岬の突端の崖の上に建った、船から見た城だった。オクタヴィアが指差して、にこやかに何か話しかけたが、彼は聞き流した。
(あれが、新しい俺の牢獄か……)
 晴れ渡った景色とは裏腹に、彼の心は暗澹たるものだった。
 案内された彼の部屋は、快適だった。異国のものらしい調度が並べられている。王子が整えたということだった。
 王子がオクタヴィアに目配せをした。彼女は静かに退出して行った。
 リオネルはようやく話が始まるのだと、気を引き締めた。

 王子は、リオネルに座るように勧め、話を始めた。
「マラガは見ての通りだ。西は断崖、海に迫る山。荒野。少しばかりの耕地があるばかりだ。実りある土地を欲しようと、北側は……ほれ、例の草原の狼が跋扈する場所だ。また、あそこは大して肥えた土地でもない。我が国は南に出るしかないのだ。だが、南はまた海だ。仕方なく、外から物を買い、諸国に売って豊かさを得ている。」
 リオネルは、もう話の行きつく先を予想できた。
「キャメロンの王は、急速に自分の権力を固めようとしていた。諸侯を従え、どうするつもりか? ……東に出たいのか、西に出たいのかしらんが……」
「それは杞憂でしょうよ。大帝国を築くような野心はお持ちではない。」
「そうかな? 国を平らかにしたなら、もっと欲しくなるだろう。ひとの欲には限りがないからな。古来そうだった。多くの王がそうした。」
「多くの王と、現在のキャメロンの王とは違うかもしれません。」
 王子は苦笑した。リオネルの考えなど全く信じず、それどころか嗤っているようだったが、それを糺そうとはしなかった。
「……我が国の北は狼だ。西に、海山を挟んでいるとはいえ、虎がいると困るのだよ。隣国は常に揉めていてくれねばならん。」
「マラガの為にね。」
「さよう、さよう。揉めれば売れる物も増えるということもある。そして……」
 リオネルはうんざりしたが、王子の考えていることを知らねばならないと思った。王子は揉め事を望んでいるだけではない。

「その隙に、切り取れる物もある。でしょう?」
 王子はにっこり笑った。
「狼はどうも同族は喰わんようだから、餌をやって手なずけている。こちらに喰いつかなければよしとせねばならん。」
 リオネルにも、王子の考えは理解できた。
 狼であるラドセイスの国内では、部族間の確執はあるが、表立って対立することもなく、大公の許で治まっている。そして、他国に欲を出す様子はなかった。
 だが、何かを仕掛ければ、即草原の軍勢が入りこみ、反対にマラガを切り取るだろう。商売をするだけで置かねばならない。
「虎の方は退治ですか。」
「退治るなどと、酷いことはしないよ。爪を少し切っておくだけだ。」
「あなたが自ら切るのではなく、虎同士で爪切りせよということですね。」
 王子は驚いた顔をしてみせ、大袈裟な仕草で
「そりゃあ、そうだよ! 虎の爪切りなど怖くてできるか?」
と言った。そして、にやりと笑った。
「だが、爪切りの道具は差し入れてやらねばならん。虎は爪切りに何を使うのかわからんから、様々用意した。」
「例えば?」
「虎の群れの一頭に、全員の爪を切る機会を与えてみた。」
「一頭とは?」
「葡萄酒を飲む虎だよ。だが、上手くいかなんだ。爪切りどころか、爪を研ぐ準備をしおった。爪切りできぬ虎は始末せねばならんと思ったね。」
 リオネルは、王子が誰のことを言っているのか理解した。また、父のサーシャを人知れず殺したのは王子なのだと思った。
 怒りを覚えたが、責めたところで仕方がない。王子の腹を全て聞きたい。静かに質問を続けた。
「他には?」
「虎の群れの若い一頭が、狼と仲良しだとかね。」
 王子は愉快そうだ。ふざけた言い様に、リオネルはまた怒りが込み上げてきたが、抑えた。
「その若い虎も葡萄酒を飲むんでしょうね。しかも、大酒飲みだ。」
「ああ。遠い東の国では、大酒飲みの酔っ払いを“虎”というそうだよ。凶暴そうだ。ま、それは別な話か。……虎の群れの長は疑い深いな。そして、愚かで臆病だ。」
「臆病だから、爪切りどころか、若い虎を噛み殺しましたね。だが、他の虎は相変わらず、長いままの爪だ。」
「だがね……虎の長は忘れきっていたようだが、猛獣使いがいたんだよ! この猛獣使いもずるくて、自分では爪切りしない。虎同士で爪切りするように仕向けた。」
(その猛獣使いとやらを唆かしたのは、あんたかもしれないね……。吐き気がするわ!)
 リオネルは、そこまで聞いて充分だと思った。これを知っても、悔しいことに、どうにもできない。
「……もう結構です。虎は群れを作りません。ご存知ないようですね。」
「知っているよ。群れは作らないで欲しいんだ。或いは、私が保護した若い虎に群れを統べて欲しいんだよ。どちらがいいかな?」
「酒飲みの虎は酔っぱらって、統べることなどできません。酒のことばかり気にして、統べることに興味を示さない。」
「それならそれでいい。虎の群れには、ずっと爪切りを続けてもらうだけだ。……もうひとつ。私は虎の子にマラガの棲家を与えたいのだ。私の若い虎の産む子にね。」
「その棲家には、住人がいるではありませんか。」
「出てもらえばいいだけだ。」
 王子は不敵な笑みを浮かべている。
 マラガの王やその息子たちを暗殺するつもりなのだろうと、リオネルは思った。
「その虎の子は、あなたを大切にするということですか。得た獲物の旨い肉は皆、あなたに与えると?」
「ああ、その通り。」
「虎の子など生まれませんよ。あなたが捕えた若い虎には妻がいない。」
「妻は与えたよ。魅力的な妻だ。虎はすぐに懐いて子を成す。虎には他に世話をする女もいないのだからね。」
 そう言って、王子はにっと笑った。
 リオネルには、返す言葉もなくなった。
 おぞましいことに加担させられると、怖気が出た。子が出来たら、事によっては、王子は自分を始末するのだろうとも思える。
(オクタヴィアは、父親の思っていることを知っているのか?)



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