戦いの終わり
15.
エレナは貧民たちの間で、薄い汁ものを啜っていた。
昼間の出来事を思い出すと、苛立ちが抑えられなかった。寄りにも寄って、決行の日にオクタヴィアが現れるとは、悔しくて仕方がない。
(リオネルの言動から、何か察したのかしら? それとも、あの騎士が何か気づいたのか……?)
どちらにしろ、しばらくは逃げ出せないのだと嘆息した。
食堂の入口がざわめいた。薄暗く、見やっても何があったのかわからないが、時々言い争いや暴力沙汰があるのだ。その類だろうと、エレナは見当をつけ、食事を続けた。
すると、背後から手首を掴み上げられた。滑らかな白い手だ。振り向くと、オクタヴィアが立っていた。憤怒の形相で睨んでいる。
「このあばずれ!」
エレナは手を振り払った。すかさず平手が飛んで来た。よろけて卓の上の食器を弾き飛ばすと、皆が口々に怒鳴った。
「飯が台無しだ! 外でやれよ!」
誰もが、エレナのことよりも、食事にありつけるかどうかが大事なのだ。
オクタヴィアは、大勢の怒声に怯んだが、エレナを擁護しようとしているのではないとわかると、にっと笑った。
「お前の味方はいないようね。」
オクタヴィアはエレナの耳を掴み、引きずり出した。
戸外に出ると、オクタヴィアはエレナを地面に放りつけた。そして、倒れ込んだエレナの背に乗り上がると、顔を地面にぐいぐい押しつけた。
「遠くに売られたと思っていたのに!」
エレナは何とか顔を上げ、オクタヴィアを横目で睨んだ。
「お生憎さま! 売られてさえいないわ!」
「お前のことなど、すっかり忘れていたのに!」
「嘘! ずっと頭にあったくせに! 私が現れるのではないかって……。赤い髪の女をいつも気にしていたんでしょ。私の赤い髪……」
「お黙り、お黙り!」
オクタヴィアはエレナの髪を掴み、頭を地面に激しく打ち付けた。
「醜い顔……。こんな女、男は誰も見向きもしないわ。」
オクタヴィアは憎々しげに罵ったが、黙るエレナではない。
「リオネルは見向きしたわよ。」
それは、オクタヴィアには一番堪える言葉だった。彼女は手を止め、エレナをじっと見た。ぞっとするような冷酷な目だった。
「……お前はきっと、どんな境遇になっても、しぶとくリオネルを追ってくるのでしょうね。リオネルもお前を探し出そうと……」
「ええ、その通りよ。草原なり大食なり売っても同じよ。何年かけても、お互いを探し出す。」
「何年かけても……?」
「そうよ。」
オクタヴィアがゆっくりと立ち上がった。エレナも立ち上がり、オクタヴィアと向き合った。
二人とも厳しい目で、お互いを探り合っていた。何を言えばいいのか、二人ともわからなかった。
「リオネルのことは……お願い、諦めて。私に返して。」
エレナがようやくそう言うと、オクタヴィアは僅かに眉をひそめたが、無言だった。
「わかったんでしょう? リオネルと暮らしていて……」
オクタヴィアは苦しげに目を逸らした。握った拳が小刻みに震えていた。
「……そうね。わかっているわ……」
「なら……」
「お前が生きている限り、リオネルはわたくしを見ないということがね!」
言うなり、オクタヴィアはエレナを突き飛ばした。そして、震える手で懐剣を取った。
「死んでしまえ。お前の死骸を見れば、リオネルも諦めがつくでしょうよ!」
オクタヴィアは懐剣を逆手に握り、斬りかかった。エレナは身をかわして避けた。
息を荒げ、髪を振り乱し、汚れた化粧で斬りかかるオクタヴィアには、典雅な様子も王女の威厳も全くない。
「お前さえいなければ……、お前さえリオネルの前に現れなければ……」
夜叉の形相で斬りかかる彼女の目に、涙が滲んでいた。エレナはそれに気づいて、はっと息を吞んだ。
(そうではないのよ、オクタヴィア……)
エレナの心に、闘志の代わりに憐れみが浮かんだが、殺されるわけにはいかない。彼女はオクタヴィアに体当たりした。
オクタヴィアはよろけて、尻もちをついた。手から懐剣が落ち、どこかへ転がった。
エレナは足を縺れさせ、逃げ出そうとしたが、オクタヴィアに飛びつかれた。
二人は地面で上になり下になり、殴り合った。
しかし、労働と粗食に痩せたエレナには、体力の面で不利だった。やがて、オクタヴィアに組み敷かれた。
オクタヴィアの紫色の瞳が、ぎらぎらと異様な光を帯びていた。彼女は両手をエレナの首に回し、ぎゅっと力を込めた。
エレナは、オクタヴィアの手首を握り締めて、どうにか解こうと試みた。
その時、突如大声が掛った。
「エレナ!」
二人の女は振り返って、図らずも声を揃えた。
「リオネル!」
二騎の影が見えた。
オクタヴィアはぱっと手を離し、エレナに馬乗りになったまま彼らを凝視した。
エレナは荒い息を吐き、首元を撫でた。起き上がろうと、手をついたところに、懐剣が触った。
それに気づいたオクタヴィアは、奪い返そうと手を伸ばした。
エレナは奪われまいと抗った。
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