12.

 リオネルに、衣装が届けられた。足首を鎖で結ばれて以来、下着もなく寛衣を身につけ、サンダルを引っ掛けていた。
 男のする普通の格好をすると、今までどれだけ身体を緩ませてきたのかを感じた。
 オクタヴィアは嬉しそうに微笑み
「あなたはその格好の方が、見栄えがするわ。……その伸びた髪はどうにかした方がいいけれど。」
と言った。
「そうかもしれないね……」
「タイランを呼びます。」
 外出が早速許されるのだと、彼は喜びが隠しきれなかった。彼女は苦笑した。
「あなたが嬉しそうになさるのを見たのは、夫婦になって初めてかもしれないわね。」
「すまないな……」
 それに続く言葉は、“君と夫婦でいることが不愉快だから”だったが、彼女は誤解した。
「これからは、度々そういうお顔を拝見できそうだわ。」
 今度は少し罪悪感が湧いた。
「すまないね。」

 タイランが居間に入ってきた。彼はリオネルの服装に驚いた。
 オクタヴィアは彼に
「殿さまにキラナを案内しなさい。」
と命じた。
 彼は少し考え込んだ。ちらちらリオネルを見ている。
「そこかしこをお拾いになるのは……」
 途端に、オクタヴィアの目許に癇が走った。目に怒りが浮かび、厳しい声が飛んだ。
「領主が領を見るのに、問題があると申すのか!」
 タイランは彼女の癇癪に慣れている。平然と言い返した。
「キラナの領主はオクタヴィアさまでございます。王がキラナの侯爵に封じたのは、あなたさまでしょう?」
「お前の主がわたくしだと思うならば、わたくしの命令に従え。それに、最早キラナの侯爵はこの殿だ。認識を改めよ!」
「王が外国の方をお認めになるとは思えません。例え、あなたさまの夫であろうともね。」
「口を慎め!」
「いいえ。これに関してだけは黙りません。」
 タイランの瞳には、怒りより哀しみがあった。彼はオクタヴィアから視線を逸らし、こっそりリオネルを窺った。
 リオネルは、タイランに歩み寄り肩を叩いた。
「何も、キラナの領主でございと威勢を張りに出るわけではない。誰と名乗りたいわけでもない。ほら、そなたが夕涼みを勧めてくれただろう? あれと同じこと。気晴らしがしたいのだ。足も自由になったことだしね……城の外へ出てみたいと思ったのだ。」
 噛んで含めると、タイランは探るような目を向けた。
「ええ……」
「こんなことで、そなたがオクタヴィアの不興をかうことはない。すまないな。」
 タイランは眉を寄せて考え込んだ。
「オクタヴィア。無理をして、城下へ出ることもない。」
「でも……」
「諍いは見たくないよ。」
 リオネルはため息をつき、二人を残して部屋を出た。

 リオネルが自室の窓辺に座るやいなや、タイランが入って来た。
「殿さま、先程は見苦しいところを……。お出かけいただけます。どうぞ。」
 彼は取り繕った笑顔を見せた。
「オクタヴィアは?」
 リオネルの問いに、タイランは気まずい顔になり
「奥方さまは……」
と言い淀んだ。
「ああ、彼女は行かないのだね。」
「ええ……」
「気に病むことはない。ご婦人の機嫌は、ころころ変わるものだからな。後で言い聞かせておこう。それに、足弱がいるよりも男だけの方がはかがいくぞ。」
 リオネルが笑い掛けると、タイランもつられて笑った。

 二人はキラナの村に出た。
 整えられた耕地があったが、この土地の主はオリーヴだった。
 太陽が既に熱く照り、人々は木陰で休憩をしていた。二人を認めると、笑顔で手を振った。
 オリーヴの実がなる頃には、休憩どころではなく多忙を極めるとのことだった。
 ぶらぶらと見回っていると、森の向こうに煙が上がっているのが見えた。
「あれは?」
「ああ、灰を作っているんですよ。」
「灰?」
「石鹸を作っているのです。オリーヴの油でね。その工程に、灰が要るのです。」
 リオネルは興味を惹かれた。
「見に行こう。」
 そう言うと、タイランは困った顔をした。
「どうした? 秘密の作業なのか?」
「いえいえ。あまり行儀のよくない場所ですから……汚いし……」
「何だ、そんなことか。レニエでは、“行儀のよくない”場所で働いたよ。土と汗にまみれて“汚いし”。だから、気にしない。むしろ、そういうところが好きなんだ。」
「どんな場所ですか、それは!」
「葡萄畑だよ。金を産む場所は、おしなべて汚くて行儀が悪いようだね。」
 二人で笑い合った。

 森の側に、その作業場はあった。遠くからでも炎の熱気が伝わってくる。いくつかの焚き火があり、半裸の男たちが、どんどん薪をくべている。
 その向こうには大きな樽があり、周りに男女が立ち働いていた。皆汚れてみすぼらしかった。
「ああして灰と水を溶いて、漉したものを使うんです。」
 リオネルが近づくのを、タイランは止めなかった。
 樽は溝の彫られた板の上に載っており、ちょろちょろと浸み出してくる濁った水を女たちが桶に受けていた。
「きつい仕事だな。」
 リオネルが呟くと
「貧しい者のする仕事ですよ。」
とタイランが応えた。
「俺もやってみたい。」
「なんですって!」
 リオネルはさっさと馬を下り、女から桶を受け取って働き始めた。
 タイランは呆気にとられて、様子を眺めた。
 リオネルが汗ばんだ顔を挙げ
「案外、やりがいがあるぞ! タイラン、そなたもせぬか?」
と呼んだ。タイランは苦笑した。
「しませんよ!」
「そうか。では待っておれ。俺は存分にするぞ!」

 タイランは馬を下り、木陰に座り込んだ。
 最初は訝しそうに見た男も女も、何も言わずリオネルを仲間に入れた。彼は灰に汚れて働いた。
 陽が傾くまで、タイランは待たねばならなかった。



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