11.

 リオネルは、鎖を持ち上げ寝台に上がった。既に、そこにオクタヴィアが横たわっていた。彼女は眠っているようだった。
 この城に入って以来、同じ寝台に休むことを強いられてきた。拒んでも、背を向けても、彼女は止めない。
 彼は枕を背に座り、彼女の寝顔を窺った。
 長い睫毛、すっと通った鼻筋。紅い唇が小さく開いている。艶やかな黒い髪から、花の香りがした。
(美しいな……美しいのは誰も否定しない……)
 彼は彼女の頬にかかった髪を耳にかけた。指先が耳朶に触れると、彼女がうっすら目を開けた。紫がかった青い瞳が、彼を見上げていた。
 彼は静かに心を決めた。
「……嫌?」
 彼の言う意味を、彼女はにわかには理解できなかった。ぼんやりと彼を見上げていたが、やがて目を丸くした。
「ど、どうなさったの……?」
「変かな?」
「いえ……。でも……どうして?」
「もういいかなと思って。」
 彼はくすりと笑い、横たわって彼女を抱き寄せた。彼女は小さくひとつ身震いし、彼の胸元に顔を埋めた。
 髪を撫で、額に口づけすると、彼女が顔を上げた。うっとりと見つめて、目を閉じた。
 彼は、唇に軽く触れるだけの口づけをした。
 寝衣の襟に手を掛けると、彼女が
「こんなことが急に起こるなんて……」
と呟いた。
 彼は手を止め、苦笑した。
「急ではない。前から思っていたんだよ。」
「え……?」
「意固地になっていただけだ。本当は、かなり辛かったんだ。」
「辛いって?」
「こんな美しい妻が側に寝ていて、手を出さないのが……。もう我慢できない。……納得した?」
「ええ。素直じゃない方ね。」
「ああ、素直じゃないんだ。」
「やっと、マラガの王を作る気になった?」
 彼は目を伏せ、にやりと笑った。
「……そうだね。マラガの王をね。キャメロンの王にもなるのかもしれない。」
 彼女は愉快そうに笑った。
「よくお解りなのね。ただ、“かもしれない”ではないわ。二つの王冠を戴く子よ。」
 
 リオネルは、オクタヴィアの反応を慎重に確かめた。彼女は目を閉じ、彼に身体を預けたままだ。
 陶器のような白い肌だったが、彼には冷たく固く思われた。
 元々萎えていた気持ちが更に萎え、これ以上は無理だと思った。
 彼はこっそり足を動かし、鎖を足首に巻き付けた。そして、彼女の首筋に顔を埋めたまま
「痛い!」
と叫んだ。
 彼女が驚いて
「リオネル、どうしたの?」
と尋ねた。
 彼は渋い顔で起き上がり、寝台に座り込むと、鎖を掴み上げた。
「これ! こいつが足首に喰いついた。」
 忌々しげに鎖をじゃらじゃらいわせてみせると、彼女も少し怒ったような顔をした。
「お怪我は?」
「いや。」
 彼が不機嫌そうに答えると、彼女は失笑し
「気をつけなくてはね。」
と言った。
 彼女は彼の腕を取り、続けようと促した。彼はその手をそっと離し
「今日はもう無理だ。」
と残念そうに呟いた。
「どうして?」
「こういうことはね……男はこういう点は繊細な生き物なんだよ。」
「些細なことではありませんか。」
「君には些細なことに見えても、男には重大なことなんだ。もうダメ。」
「そんな……もう一度……」
 彼は鋭く
「君は俺に辱めを与えるのか?」
と言い放った。彼女は途端にしゅんと俯いた。
「いいえ……」
「今日は静かに寝ることにしよう。」
 彼は背を向けて横になった。
 彼女はまだ物言いたげにしていたが、男の生理など知らないのだ。言うべき言葉もないようだった。

 リオネルはこっそりと、しかしながら聞こえるほどの声で
「忌々しい! こいつのおかげで、俺は酷い恥をかいた。それでなくても、寛衣しか着られないのに……」
と呟いた。
 彼の背中に当たっているオクタヴィアの背中が、かすかに震えた。
(聞こえただろう? 次の王の為に、君はどうしたらいいのか……解ったよな? )

 数日後、鎖が解かれた。塩を塗していた部分は錆び付き始めていたが、誰も問題視せず、リオネルは安堵した。
 オクタヴィアが何度かそれとなく誘ったが、彼は知らぬふりを決め込んだ。
 焦れた彼女が身体を寄せてくるようになったが、彼は身を離し
「この前、言っただろう? こういうことは微妙なんだよ。すぐに“さあ始めよう”というわけにはいかない。」
と言い聞かせた。
「アハマドに相談しましょうよ。」
 リオネルは大げさにため息をついてみせた。
「君は何もわかっていないのだね。こんなこと、他人に知られるなんて、絶対に嫌だよ。」
「でも……ならば、いつになれば?」
 彼女は彼を拗ねた表情で見上げた。彼は天井を見上げ、辛そうに
「この前の失敗が気にならなくなったら。しばらくそっとしておいてくれ。」
と小さく答えた。
 彼女はため息をつき、背中を向けた。



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