第五の戦い

1.

 リオネルは、シビウの城に囚われたままだった。オクタヴィアは相変わらず、彼の世話をかいがいしく看た。
 煩わしく、腹立たしい気持ちと、徐々に湧きあがる憐れさがあった。
(感謝はしている……。君が妄執から解き放たれたなら、我々は友情を結べるだろうに……)

 牢獄で伏せっていたリオネルの身体は、かなり弱っていた。体重も落ちた。オクタヴィアは、食事には特に気を遣っていた。いつも食べきれないほどのものを用意し、彼がその時の好みで選べるように、種類も取り揃えていた。
 どれも美味だった。
「いかがですか?」
 彼女は微笑んでいる。彼は汁ものを口にし、眉をひそめた。
「素晴らしいが、味が薄いな。塩をくれ。」
「まあ……それは失礼いたしました。」
 彼女は塩壺を取り、彼に渡した。彼は小刀の先に、山盛りに塩を載せた。一度ではなく、三度繰り返して皿に入れた。
「俺は、はっきりした味が好きなんだ。毎度言っているのに、君の料理人は少しも理解しないね。」
「申し訳ございません。」
「もういい。君が悪いのではない。料理人だ。」
 彼が冷たく言い放つと、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
「いいえ。厨房を監督するわたくしの責任です。」
「そうか。では、忘れないうちに厨房に伝えてくれ。」
 彼女は立ち上がり、厨房に去った。
 彼は匙に汁を掬い、足許に垂らした。足許にできた小さな水溜りに、鎖を浸すと、足でぐいぐい擦りつけた。充分したと思うと、残りは床に擦り込むように伸ばした。

 リオネルに許された外出は、庭園を散策することだけだった。
 彼は欠かさず庭園に出て歩き回り、石畳や階段に鎖を擦った。塩気と傷で鎖を劣化し、千切れるには気が遠くなるほどの時間が要る。全てを諦めた方がいいのではないかという気持ちが挿してくる。
 しかし、海を見ていると、諦めそうになる気持ちがしゃんとした。
(俺はレニエに帰る。必ず、エレナと再会するんだ。)
 海を見るたびに、決心を新たにした。

 数か月経った。このところ、オクタヴィアは忙しくするようになった。リオネルと過ごす時間が減り、厳しい表情で執事を何か話している。来客も多くなった。
 リオネルが尋ねても、彼女は微笑んで曖昧にはぐらした。
 彼は、来客に会うことは勿論ない。奥に匿われている身には、誰が来たのか見ることさえできなかった。
 だが、様子を窺うことはできる。誰かが到着すると、中庭が騒がしく、馬の嘶く声や男たちが命令を発する声が聞こえた。
 護衛の騎士ではないかと、彼は思った。どうやら身分の高い者らしい。
 それが頻繁になり、オクタヴィアはすっかり彼の許に姿を見せなくなった。
 そして、シビウの平原や森しか見えなかった部屋の窓外の様相が変わってきていた。
 あちこちに天幕が張られ、騎士たちの旗指物が林立している。その間を、従者や盾持ちが忙しそうに立ち働いていた。
 日に日に数が増えた。
(騎馬試合の模擬戦? )
 しかし、そんなものが行われる雰囲気ではない。もっと慌ただしく、厳しい空気なのだ。
(……戦? )
 不安感が押し寄せた。今まで以上に、城の警備が固くなるだろう。逃げ出せる可能性は皆無になる。
 彼は足首の鎖を睨んだ。いつも塩を塗している辺りはくすんできていた。切れるとは思わなかったが、そこを床の段差に何度も擦り付けずにいられなかった。

 集結していた騎士たちは、一団ずつ出発して行った。全てがいなくなると、しばらくぶりにオクタヴィアが現れた。
 彼女は疲れた様子だったが、実に嬉しそうだった。
「マラガからの船が着いたの。」
 リオネルがじろりと見やると、彼女は
「やっとマラガにお連れできるわ。アハマドも、あなたのお身体はほぼ以前の通りと申しましたし。」
と言って、笑った。
「そう。それで、この前の騒ぎは何だったのかな?」
「内乱よ!」
 彼は驚愕したが、態度にも表情にも出ないように努めた。
「そうか。」
「あら、驚かないのね。心配ではないの?」
 彼は心配で胸が潰れそうだったが
「……レニエはどうなったのかな?」
とだけ尋ねた。
 彼女はにっと笑った。
「レニエのことだけをご心配なさるの?」
「で?」
「レニエはほら……伯爵さまは、王さまの側に付かなければならないわ。レニエの騎士たちはどう思うのかしらね……」
 彼はぎっと彼女を睨んだ。彼女は肩を竦めた。
「あなたが心配なさることではないわ。」
「君はシビウを投げ打ち、さっさとマラガに逃げるというわけか。」
「ええ。勿論、そうよ。シビウなど、わたくしには特別思い入れもないわ。あなたが船旅に耐えられるようになるまで、待つ為の場所というだけよ。」
「酷いね。それで、君はどちらの陣営?」
「わたくし? わたくしは、残念ながらレニエの敵方よ。」
「そう。さっぱり情勢がわからない。少し説明をしてくれるかな。」
 彼女は軽く笑い
「それは船の上でね。」
と言って、彼に出立を促した。



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