7.

 一方、クルジェの館では、生き残った村人が中庭に溢れかえっていた。
 エレナはユーリを探した。泥だらけで地面に座る彼を見つけると、彼女は深いため息をついた。
「ユーリ……よかった。あんた、生きていてくれたのね。」
 そう言うと、エレナは堪えられなくなった。ぽとりと涙がこぼれた。
 ユーリは苦しげに顔を歪めた。
「でも……父ちゃんが山に呑まれたんだ。家も……」
 彼女は掛ける言葉もなく、彼を胸に抱き込んだ。ユーリが小さくすすり泣く声が漏れた。
「お母さんは?」
「母ちゃんは生き延びたよ。でも、呆けて……話しかけても応えもしないよ……。これから俺は、どうやって母ちゃんを食わしていったらいいっていうんだよ……」
 エレナは周囲を見渡した。誰もが放心しているか、震えているか、泣き叫んでいるかだ。
「あんたは館で仕事をしたらいい。私がお父さまに言うわ。」
 彼女は涙を拭うと立ち上がり、燃えるような赤い髪をぐいっと振り払った。
「私は……天が背を向けるなら、首根っこを掴んで振り向かせるわ。負けない……」
と呟いた。
 瞳がらんらんと輝き、残酷なくらいに青い空を見上げた。

 館で働く者も、騎士の家族も彼らの世話に当たらねばならない。倉から食料を出して振舞い、怪我人の手当てをした。
 当初は死を免れたことをただただ感謝していた人々は、落ち着くと身の振り方を案じ始めた。
 どう思案しても、暗澹たる未来しか見えない。土地を回復するのは難しく、長い時間が必要だろう。食べていけない。皆は騎士に訴えかけたが、彼にも方策が見つからない。ますます人々は落胆した。
 エレナは父の騎士に詰め寄った。
「お父さまの仕える伯爵さまに、援助を申し入れて!」
 彼は渋い顔で
「伯爵さまはクルジェのような小さな土地には見向きもしない。今までだってそうだった。」
と答えた。
「そんな……。領を荒れたままでおくというの?」
「荒れようが……クルジェは元々、伯爵さまに多くを納めていない。それどころか、納められないこともある。ここは、そういう土地なのだよ。実入りのない土地につぎ込むことなんかしないよ。伯爵さまとて、余裕はさほどないのだから。」
「だったら! 伯爵さまの仕える王さまに申し上げて!」
 父は力なく、首を振った。
「王さまなど……。伯爵さまを飛び越して、王さまに話をするなどもっての外だ。それに、内乱の後、いくらも経っていないのだよ? 王さまだって、有り余る財を持っていらっしゃるわけではない。」
「どうしたら……?」
 父は目を伏せた。エレナは人々に目を移したが、誰もが目を逸らせた。彼女自身と同じように、皆方策がないのだ。
 彼女は、疲れ果てた人々を見て、自分たちの力の無さを思い知り、唇を噛んだ。

 何も出来ないまま、生きている者は細々と生き、死んだ者の置き場も無くなり始めたころ。クルジェの村はずれに、大人数の一行が至った。
 大柄な強靭そうな身体の男たちを見て、クルジェの領民は怖れた。
 男たちと、幾人かの女たちの一行は、いくつも荷馬車を連れていた。鋤鍬の類から、材木、煮炊きの道具、使い道のわからない道具もあった。そして、穀物の入っていると思われる菰。樽。意気の上がった様子で、悪路にも関わらず、わあわあと荷馬車を励まして通り過ぎて行く。
 領民は、壊滅的な打撃を被ったこの土地を狙って来たとは思わなかったが、得体の知れない相手に抵抗する気力など、もうない。恐ろしげに見送るしかできなかった。
 やがて、彼らは遠慮なく、クルジェの館に入った。
「やあやあ、汚いな。大勢ひしめき合って、泣いているだけかい! 情けねぇ!」
 あからさまな第一声をかけて、仲間内で笑っている。クルジェの皆はむっとしたが、言い返すことができなかった。
 騎士が恐る恐る尋ねた。
「お前たちは? どこから、何をしに来たのだ? クルジェは見ての通り。何も与えられるものなどない。」
 すると、彼らはまたどっと笑った。
「こんなところ、何も起こっていなくても、欲しいものなんかねぇよ!」
 口惜しさを堪え、騎士は更に尋ねた。
「それで? 私の問いに答えていないようだが?」
「ああ、そうだった。……レニエから来たんだよ。」
「レニエ? 縁もゆかりもない土地だが……?」
「そんなこたぁ、知らねぇな。ひどい山津波じゃないか。このままにはしておけないだろ?」
「お前たちが何とかするとでも言うのか?」
「ああ、そういうお達しだからな。」
「お達し?」
「そうだよ。伊達や酔狂で人助けにくるほど、俺らは親切じゃねぇよ。殿さまがお命じだから来た。」
「殿さま?」
「何だい、さっきから。レニエから来たって言ったろ? レニエの殿さまは一人しかおられん。伯爵さまだよ。カスティル=レニエさま。」
 騎士は唖然とした。仕えているわけでもない他地方の伯爵が、援助に来るなどあるはずもない話だった。
 騎士も人々も次々と顔を見合わせ、当惑した。
 レニエから来た男たちは構いもせずに、どんどん荷を解いた。遅れて入って来た数人の男が、被害の様子を事細かに報告すると、皆で地面に地図を書いては、どうだこうだと相談し始めた。
 クルジェの者は呆気にとられたまま、それを見つめた。
「本当に……?」
 騎士が呟くのに、エレナは
「お父さま、誰だっていいわ。助けてくれるって言うんだから!」
と窘めた。
 レニエの男が聞き留めて
「ああ、そうだ。嬢さんの言う通り。お前らは、他人が苦労しようっていうのに、俯いているだけかい? お前らの方が土地に詳しいんだ。とっとと、算段に加われよ。」
と言って、笑いかけた。



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