5.

 リオネルがレニエを継ぐと、彼の母は妻を迎えるように勧めた。
 彼は
「ものには時期というものがあるのです。葡萄を慎重に見極めて収穫せねば、いい葡萄酒にならないように。母上はまだまだ“レニエの奥方”でいらっしゃれますよ。」
と、皮肉交じりに聞こえる応えを返した。
 母には、皮肉だと感じるほどに息子に対する感情もない。
「申し上げましたからね。」
 申し訳程度の進言だったのだ。

 以前と同じ生活が続くことに安心した母は、相変わらず城の奥で遊び暮らした。それは彼にも好都合なことだ。
 エレナは娘盛りを迎える。より慎重に見守らねばならないのだ。より頻繁にクルジェへ出かけた。

 リオネルはいつものように、乗ってきた馬は宿に預け、宿のくたびれた馬を借りた。そして、毛の灰色の外套を羽織り、フードを目深に被って、だらしない騎馬の進め方で、クルジェに入った。
 ちょうど、館の門にエレナが立っていた。海老茶色のスカートの上に白いエプロンを掛け、編み籠を手に持っていた。無造作に束ねられた赤い髪の解れ毛が風に揺れ、煌めいた。
 リオネルは目を見張った。
 エレナは、数か月前とは、まったく違った様子だった。少女の埃っぽさがすっかり消え、明らかに娘らしい美しさだった。
(ずっと……ここ数年ずっと、エレナを見守ってきた。俺の思うような娘になるのかと……。申し分がない。)
 彼は満足げに微笑んだ。
エレナはふと顔を上げると、輝くような笑みを見せ、ちぎれそうなほど手を振った。真っ白な二の腕が陽の許に露わになった。
 そして、スカートの裾を翻しながら、跳ね橋を駆け渡った。立木の陰から、騾馬を連れたユーリが現れるのが見えた。
 エレナが彼の首に腕を回して、抱きつくのが見えた。
 ユーリがエレナの腰を軽く抱き、何か話している。エレナは笑っている。
 やがて、二人は寄り添い森の方角へ歩いて行った。
(あれは……エレナはユーリに恋をし始めたか。)
 そう思っても、リオネルに差し迫った気持ちも焦る気持ちもない。苦笑いが出た。
 あの眩しい笑顔がいずれ自分に向けられることに、何の疑いも持っていないのだ。

 堀端にいた農婦が数人寄り集まり、二人の立ち去った森の方を眺めながら、話を始めた。
リオネルは、馬を下り、大きな立木の下に、いかにもくたびれた風で座り込んだ。女たちはちらりと彼を見たが、旅人だと思ったのだろう、さして興味も示さなかった。
彼は、声高に話される噂話に耳を傾けた。
「お館はどう思っていなさるのかねぇ……。嬢さまがユーリなんかと。」
「森に行ったんだろ? 二人きりで何しているんだろうね。」
 そう言っては、野卑な笑い声を挙げた。
「百姓の小倅が、身の程を超えてね。親父やおふくろがガツンと言わなきゃいけないんだよ!」
「あそこのおとっつぁんもおっかさんも、大人しい人だからねぇ。ユーリもいい子だしさ……」
「いい子だからって、何もかもが許されるわけじゃないだろ。」
 ひとりがにやにやしながら、もっと下った話を始めた。
「どうなっているんだろうね……?」
「そりゃあ……ユーリだって若い男なんだから……」
「そうだねぇ。男と女がいればね……」
などと、くすくす笑いさざめいている。
「そんなこと! 間違いがあったら、さすがにただじゃ済まないよ!」
 無責任な推量が延々と続いた。
 灰色の空から、雨粒が落ち始めた。
 リオネルは、もう十分だとその場を立ち去った。

 森で二人が何をしているのか、多少は気になった。農婦たちの想像通りのことがなされているとしたら、さすがに覗き見する気にはならなかった。
 今回の旅は、エレナの成長を見たのみで終えた。
 花が綻んだ彼女の様子に、彼は時が至ったのだと知った。後は、クルジェの騎士に婚礼を受け入れさせるだけのことだ。
 しかし、クルジェの騎士とは、まったく交流がない。クルジェが帰属している伯爵領の主ですら、ほとんど知らない。
 やんわりと断られるだろうことは考えられた。
「絶対に断れないような方法がいい……。何か……?」
 リオネルは、雨空を見上げると、馬の腹を蹴った。



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