戦いの終わり
3.
レニエの伯爵の予想した通り、しばらくすると、キャメロンの国内は乱れ始めた。権力の弱い王に反旗を掲げる諸侯が現れ、小さな戦が各地で起こった。
だたし、都のある地方で起こることが多く、離れたレニエの土地には影響がなかった。
風の便りに聞く戦の話など、別世界のことのようだ。人々は田畑で汗を流し、森で狩りをし、葡萄が実れば酒を醸した。
リオネルは、何度かクルジェに出かけた。
一度、父に出がけに捕まり、クルジェに行くのだと言うと、渋い顔をして止められた。理由を尋ねると、父は
「遠いからだ。それに、国が乱れている今は、どんな危険があるかもしれない。」
と答えたが、表向きのそれらしい理由を述べているだけだと、リオネルには感じられた。
「遠い? 小旅行には、ちょうどいいくらいですよ。不逞の賊に後れを取るとでも? 自分の身くらいは守れます。」
彼はそう笑って、父を振り切った。
クルジェは、昔からの騎士の封土である。山肌に張り付くように、小さな古い館と小ぶりな村があった。さして、豊かではない土地だった。
リオネルはいつも館を望む峠道に陣取り、様子を眺めた。特徴的な赤い髪の娘は、必ずユーリと一緒に出てきた。
時に森に出かけ、村に出かけ。楽しそうに遊んでいる。
ユーリはエレナに対して、節度のある態度で接している。ちゃんと弁えているのだと満足した。
(実に仲の良いことだ。今はユーリと楽しんでいればいい。)
彼は充分眺めると、そのままレニエに帰った。
そんな日々が続いた。
ある時、いつものように、クルジェの森で遊んでいるだろう二人を探していると、叫び声が聞こえた。
(エレナ……! )
聞きなれた声はすぐにそうとわかった。
森の奥に馬を駆け入れると、二人の男とエレナがもみ合っているのが見えた。リオネルは驚いて、そばにいるはずのユーリをすばやく探した。ユーリは三人目の男の小脇に抱えられて、暴れている。
エレナの力では敵うべくもない。男たちは彼女をあしらい、ユーリの手足を抱え込んで、立ち去ろうとしていた。
それでも彼女は追いすがり、泣き叫び、男たちに猛然と立ち向かおうとしていた。
リオネルは苦笑した。
(思った通りに、育っている……)
リオネルが駆け寄ると、男たちは彼の登場に驚いた。彼は黙って、すらりと剣を抜いて、切っ先を向けた。
一人が短刀を抜いて構えた。
すると、別な一人が、その男の袖を引き、目配せをした。男たちに迷いの色が浮かんだ。
しかし、短刀を握っていた男が、リオネルに向かってそれを投げた。リオネルが避けた一瞬のすきに、彼らはユーリを抱えて逃げ出した。
「ユーリが! ……ユーリ!」
エレナが悲鳴を挙げ、追い始めた。
(やれやれ。俺は姫君ではなく、ユーリを救い出す使命があるということか。)
リオネルはエレナを追い
「待っていろ!」
と声をかけた。
そこで初めて、エレナはリオネルをじっと見た。緑色の瞳が潤みの中で、燃えるように光っていた。彼は少したじろいだ。それを悟られるのを怖れ、ぱっと視線を逸らした。
ユーリを抱えていない一人が立ちはだかったが、リオネルは駆け抜けざまに剣を振り下ろした。残りの二人は馬の脚に掛けた。
そして、すばやく下馬すると、放り出されたユーリを背に、男たちに対峙した。
男たちから戦意はあまり感じられなかった。逃げるつもりで、間合いを計っているようだった。
リオネルがふっと息をつくと、男たちは肩に刀傷をつけられた一人を助け、そそくさと逃げて行った。
リオネルは剣を戻し、振り返ってユーリを見下ろした。震え、怯えた目で彼を見ていた。立ち上がれないらしい。
(お前に掛ける言葉はない。)
リオネルは黙って騎乗した。
そこへ、エレナがよろよろと歩み寄った。ユーリが怪我をしていないのを確かめ、抱き締めると、リオネルを見上げ
「騎士さま、ありがとう……」
と小さな声で礼を言った。
「騎士? 騎士などという下賤な身分ではない。」
思わず言ってしまって舌打ちしたが、エレナは不審にも思っていないようだった。
馬を返し、四・五歩歩んだところへ、エレナが駆け寄った。
「これ……」
と言って、丸めた手巾を差し出した。開けると、小さな果実が入っていた。
「何だ? 黒すぐりか。いらぬ。」
突っ返そうとしたが
「煮詰めてもおいしいし、お菓子に使えるよ。」
とリオネルに押し付けた。
礼の品を贈らねば、感謝には不足だと思ったのだろうと、リオネルは
「貰うとするか。」
と微笑んだ。
エレナの顔がぱっと輝いた。
「私の大好きなユーリを助けてくれてありがとう。騎士さまじゃないのよね?」
「騎士だろうが、何だろうが、今のお前に関わりはない。」
「クルジェの館へ来て。」
「断る。」
断固とした応えにエレナは言葉を失くした。
「“我は常に共にある。忘れるな”。」
リオネルは鬼神の口にした言葉を言って、笑いかけた。
彼女はやはり言葉もなく、目を丸くしたまま、彼の駆け去るのを見送った。
ユーリがようやく立てるようになり、エレナの側へ来たが、彼女はリオネルの去った方向を見つめたままだった。
「俺、お礼も言えなかったよ。どうしよう、無礼なやつだと思われたかな? ……どうしたの、エレナ? もうあの人は見えないじゃない?」
「ええ……」
エレナは答えたものの、ユーリを振り返ることもなく、うっとりと見つめていた。
「ねえ、エレナ?」
エレナはやっとユーリを見て、照れくさそうに微笑んだ。
「王子さまは白い馬に乗って来るんだと信じていたわ。金髪で青い瞳の王子がね。……あの人、黒っぽい青い目をしていた。それに、黒い髪だった。黒い髪の王子さまもいるんだね!」
「そりゃあ、王子さまもいろいろな人がいるだろう。」
「そうね……」
「王子さまだと言ったの、あの人?」
「騎士じゃないって。」
「どこかの傭兵?」
「ううん。何だか、そんなんじゃない。……すごかった! かっこいい!」
エレナは目をキラキラさせていた。ユーリはそれをこっそりと渋い顔で見つめた。
「美しい黒髪の王子さま。私を見守ってくれていたのかなあ……」
エレナは頬を紅潮させていた。
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