ラディーンの王女

1.

      緑の瞳 雪の肌 辰砂の唇
      黄金の髪が縁どる 百合の(かんばせ)
      私の“王女”よ
      もしも 花弁が揺れるなら……

 また 誰かが歌っている。夜風に乗って、いつもの賛歌をうたう声が聞こえる。
 老婆はため息をつくと、天幕からそっと出た。
 満天の星空の許、柔らかな草地に、娘がひとり立っていた。
 すらりとした姿態、緩やかに波打つ金色の髪が、時折の風に揺れていた。
 月明かりに照らされたその顔は、息を飲むほど美しい。
 しかし、まるで大きな人形が立っているようだった。まるっきり生気を感じさせないのだ。
 娘の前に、若い男がリュートを抱えて、座っていた。
 老婆が近づくと、バツが悪そうに若者は立ち上がり、自分の馬に跨った。
 熱っぽい目で娘を見つめたが、哀しげに目を逸らし、黙って駆け去った。
 娘は若者の去る方を向いたままだ。老婆の方を向くこともない。
 老婆は娘の顔を覗き込んだ。
 娘は若者の後ろ姿を見送っていたわけではなかった。
 娘の目は何も見ておらず、何の表情もなく、ただ夜の虚を眺めているだけだった。

 そのまま二人は、黙って草原を渡る風に吹かれた。
 老婆はちらちらと娘の姿を眺めた。
 一緒に暮らしている老婆でさえも、見るたびにこの娘の美貌に感嘆した。見慣れるということがない。
 濃い金色のたっぷりとした髪、シミも黒子のひとつも無い乳のように白い肌、薔薇色の差した頬、通った鼻筋。紅を引くこともないのに真っ赤な唇。濃茶の眉が細く優美な曲線を描き、切れ長の大きな目は、黒い長い睫毛に縁どられている。瞳の色は、深く澄んだ緑色だった。
「アンフィサ、おいで。」
 老婆が声をかけた。
 アンフィサと呼ばれた娘は、何の反応もしない。
 老婆が袖を引くと、彼女はやっと、老婆のいることに気づいたような顔をした。
 もの言いたげに少し口を開くと、真珠のような小さな歯が覗いた。
「今夜の男は……、あれは東の丘の氏族から来たのかねぇ……。あっちに駆け去ったけれど……。ご苦労なことだよ。」
 若者が去った方向を指さして、娘に示した。
 娘は何も言わず、硝子玉のような瞳で、指さす方を眺めていた。
「まあ、この前のように、ラザックの戦士じゃなくてよかったよ。あの時なんか、ここらの五旗の若い戦士たちが、探すのに血眼になって、大騒ぎしたんだから。あんなのは、もうごめんだね。五旗だよ! 五旗。危うく戦だったんだから!」
 話しているうちに身振り手振りが大げさになる老婆を、娘は不思議そうに見つめている。
 老婆は苦笑した。
「あんたも気をつけておくれよ。そう言っても、それじゃあねぇ……。」
 老婆はアンフィサの手を引いて、天幕に戻った。
 彼女が寝床に入るのを見、すぐに寝息を立てるのを見届けると、老婆はまた感嘆しながら寝顔を眺めた。
「“私の王女”だって? 確かにね……。サガに謳われる美姫が現れたかのようだもの。何の因果かねぇ。平凡な男と女から、こんな娘が生まれるとは……」
 感嘆と不安と心配と。
「過ぎた美貌なんてもんは、不幸かもしれないね。まったく、若い男といったら! どいつもこいつも、節操のせの字もありゃしない。」
 老婆は同じ寝台に入って、目を閉じた。

 アンフィサは先ほどの若者にも、今まで訪ねてきた男たちにも、一切口をきかなかった。
 一緒に暮らしているこの祖母とも、話すことはなかった。生まれてからずっと。
 “ラディーンの王女”アンフィサは、耳が聞こえないのだ。言葉を発する術も知らない。



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