16.

 私たち三人は、子供の話で大いに盛り上がった。
 その間、父はちらちらと私たちを見ていたが、小さく足を踏み鳴らし始めた。
 私は、父も話に加わりたいのだろうと、母に促した。
 母は父を一瞥して、鼻を鳴らした。
「あれはね、くだらないことで苛々しているだけ。」
「仲間はずれになったと、思っていらっしゃるのでは?」
「違う、違う。負けた気になって、苛ついているの。ねえ、アナトゥール?」
 母が声を掛けると、父は
「よくお解かりで!」
とびっくりするような大声で応えた。
「負けた?」
「男として負けた気になった。」
 私に向ける目は物騒だった。苛立っているどころか、怒っているのではないかと思った。原因を考えたが、解らない。
「私にですか? ……どこも負けていませんよ。むしろ、勝っています。」
「お前は黙っておれ。……奥さん、息子ごときにしてやられたのは悔しいので、何とか雪辱を果たしたいと思うのですが……」
 どんな方法で雪辱するのだろう、武芸だったらとても敵わない。父の憎々しげな目つきを見ると、不安な気持ちになった。
 しかし、母は薄く笑って、肩を竦めただけだった。
「ほら、きた。」
「孫より小さい娘をですな……」
 ふざけているのかと思ったが、父は大真面目な顔をしていた。
「やっぱり……。頭がおかしいんじゃないの? 勝ち負けの話?」
「なにとぞ……。若いこいつみたいなきつい一発を決める自信はないのですが、その分微に入り細に渡ってですなあ……」
 これ以上、虚像を破壊する必要もないのに、父は自らどんどん破壊していく。
 初めて草原に案内してくれたラディーンの戦士が言っていた“英雄になれないトゥーリさま”という言葉。リュイスの言った“アナトゥールの阿呆”。それらが、しっくりと父と重なった。
 可笑しくて仕方がない。父だけではなく、母も思っていた人とは違う。こんな可笑しな掛け合いは聞いたことがない。
 ラザネイトと二人、遠慮なく大笑いしたが、父も母も構わず続けた。
「息子じゃなくて、娘がいいの?」
「できれば娘。ほら、屋敷に帰ってきて、男くさい息子に低い声で“おかえりなさいませ”なんて面倒そうに言われても、どっと疲れが増すってものだろ。可愛い娘の笑顔の出迎えなら、また頑張ろうという気になる。」
「馬鹿馬鹿しい理由ね。第一、私にはお産はもう無理よ。殺す気?」
「とんでもない! ……孫より小さい娘は諦めるよ。息子もいらない。」
「黙っていなさいよ!」
「黙らないよ。大事な局面じゃないか。」
 父は私たちをじろりと見て、忌々しそうに
「……おい、いつまでいるつもりだよ? 城へ帰れ。」
と言った。

 私たちが席を立つと、父は私を呼び止めた。
「冬だから、ちょうどいい。穿刺しよう。」
と言った。
 父は、大公の耳飾りである“赤月”を外すと、耳朶を探り、針先を当てた。
 すっと針が通ったが、父はぐりぐりと針を回す。痛かった。
「痛い?」
 我慢して
「いいえ……」
と答えた。
 父は針を抜き
「くそ生意気な痩せ我慢するんじゃない。お前はお行儀が良すぎるよ。俺の半分くらいは、不真面目でよろしい。」
と言って、開けた穴に“赤月”を下げた。
「親父の半分なんて、冗談じゃない。俺は百分の一で遠慮しておくよ。それでも多いくらいだ。」
 そう言い返すと、父は鼻を鳴らし
「俺が死んだら、前からあるど真ん中の穴に“天狼”を下げろ。」
とにっと笑った。

 居間の扉を閉める時、父が母に屈みこみ、口づけするのが見えた。母は父の首に腕を回していた。
 父は、母の座っている長椅子に片膝を上げた。
 ラザネイトと私は、笑いを噛み殺し、控えにいた近習に目配せした。近習はよく解っているらしく、苦笑しながら廊下に下がった。
「さっきの様子で、あれ?」
「あの二人には、前戯みたいなものなんでしょ。……ねえ、来年はラグナルの妹が生まれるんじゃない?」
「娘も息子も諦めるって、仰ったじゃないか。……どうするのかな?」
「さあ……」
 私たちは、馬車の中で笑い転げた。
「赤ん坊が動いたよ。」
 ラザネイトの腹に触ると、手のひらに何かがぽこぽこ当たった。赤ん坊が蹴ったのかもしれない。
 胸の底と、耳朶がじんじんと熱かった。それは、責任の重みと喜びだった。


                                         おしまい
  Copyright(C)  2015 緒方しょうこ. All rights reserved.