父

1.

 草原の最深部、遥か南のラザックシュタールの街に、私の父母がいるという。それはずっと聞かされていた。
 守役のテュールセンのデジューが、時折会いに連れて行ってくれる母方の叔父であるコンラートさまと奥方のマティルドさまの方が、私にとっては近しいが、親しみはさほどなかった。
 それは、デジューや乳母の注意深い導きの成果だったのだろう。
 ただ、父のことを乳母に尋ねると、戸惑った表情を浮かべた。コンラートさまは、表情を曇らせた。
 そして、二人とも“立派なひと”だと答えて、それ以上は教えてくれなかった。
 デジューに訊いても
「あなた自身で、お父君のことを知るべきです。」
と微笑むだけだった。
 知るも何も、物心ついてから、会ったことがないのだから、しようがない。
 私がごく小さい頃には、時々都へ来て会ってくれていたようだが、母が立て続けに懐妊し、それを機に来なくなった。
 だが、父母が私を忘れたわけではない。たくさんの手紙を私は持っているのだから。
 母からの優しい手紙も嬉しかったが、父からのものは私を興奮させた。
 父からの手紙には、草原のことばかり書かれていた。馬の話、草原の祭りの話、外国の隊商の話、どれもが新鮮で驚嘆することばかりだった。私は読むたびに、草原に夢を馳せた。
 手紙はいつも、いくつかのインクの擦れ痕があった。左から右へ擦れていた。
 デジューにわけを尋ねると、父は左利きだからと教えてくれた。
 そして、末尾には必ず“お前のことを想わない日はない”とあった。
 草原の部族・ラザックとラディーンの、大昔の英雄である大族長(シーク)と同じ名前の父。
 手紙の“アナトゥール”という署名を指でなぞっては、父の姿をあれこれ想像して、わくわくしたものだった。
 昔ながら、長い髪を男らしいとするラザックの習俗の通り、また父の望んだ通り髪を切らず、毎朝編むたびに、父も今頃そうしているのだろうかと考えた。
 だから、無理もないだろう。父が久しぶりに都へ来るという話を聞いた私が、小躍りして喜んだのは。



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