黄金の瞳
1.
馬の脚を半ば隠すほどに茂った草。見渡す限りの緑の草原。
晴れ渡った夏の空。日差しは強かったが、乾いた風が身体に心地よい。
蒼穹にひとつ、鷹の姿が見えた。輪を描き、陽の中に入った。
草むらから、少女がひとり立ち上がり、額に手をかざし、鷹の動きを眺めた。
そして、草原の向こうをじっと見つめた。
陽炎の中、黒い影がゆらりと現れた。みるみるうちに、騎馬の姿に凝った。
彼女が手を振ると、騎馬は走り出し、あっという間に側まで駆けてきた。
乗り手は、長い黒髪のラザックの男だった。若くはないが、年寄りでもない。美男美女の多い草原の中でも、目を見張る美貌だった。
彼は口笛を吹き、左腕を空に伸ばした。天空から、大鷹が舞い降りた。
彼が鳥を腕に据える様子を、少女は目をきらきらさせながら見つめた。
彼は彼女に微笑みかけた。
「“ひばり”。今日は恋の歌か。」
「うん。あそこの馬套棹の二人へね。」
少女の指さす方に、馬を捕まえる為の竿が突き立てられていた。
それには意味があった。その許で、男女が愛を交わしているという合図である。
草原の恋人たちは、家畜を追いに出て、そうして逢引きするのだ。
彼は一瞥して、苦笑した。
「夢中で、歌なんか聴いちゃいないよ。……お前の歌なら聴いているかな? さっきの古臭い歌でも、お前が歌うと絶品だ。」
「古い? じゃあ、約束通り、ラディーンのところで聴いた新しいのを歌ってよ。」
「いやだね。お前の前では歌わないと決めたって言っただろ? 詩だけ教えてやる。」
「負けを認めるのね! いいわ。自分で曲はつけるから。」
少女は、草むらから見慣れない楽器を取り上げた。
「何だ、それ?」
「セリカの商人から買ったの。」
長い竿と楕円形の胴に、二本だけ弦を張った楽器だった。少女は、弦を爪弾いてみせた。少し寂しげな音色だった。
「それは爪弾くものじゃないな。貸してみろ。」
彼は下馬すると、自分の馬の尾を一つまみ切り取り、灌木の枝に張った。
「こうして擦る。」
そう言って、即席の弓で弦を擦って見せた。
「……ほら、こっちの方が情熱的で、ずっといいだろ?」
物寂しげでいて、瑞々しく艶のある音が響いた。
「何だか、女のよがり声みたい。」
彼が大笑いすると、少女も笑い声を挙げた。
「父さまは、いつもそういうことを言うのね。……大声出しちゃだめ。向こうの二人の邪魔でしょ。」
「他人の恋路の心配はどうでもいいよ。お前はどうなんだ?」
「父さまを色めき立たせることはないよ。母さまを喜ばせるようなこともね。残念でした。私は詩人になるの。」
「たまには喜ばせてくれないかな……。」
「だって、男は父さまくらいかっこよくないとダメだもん。」
彼は苦笑し、太陽を見上げると
「行こう。宵にはラザックシュタールの街に着くだろう。……馬は?」
と訊いた。
「ラザックの氏族長のところ。歩いて来た。」
彼は彼女を自分の馬に乗せた。
「ファラーラは?」
「姉さまは、父さまの群れと一緒に草原へ出た。」
「そう。」
二人は、南へ向けて駆けた。鞍の上で、少女はまた歌をうたい始めた。
美しい声だった。そして、何とも言えない情のある歌い方だった。
註 セリカ:中国のあたり
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