戦いの始まり

1.

 森を通り抜ける街道を、大勢の騎士に守られた馬車がひた走っていた。
 午後の陽は西へ低く傾いている。そろそろ宿りをしてもいい頃なのに、馬車が止まる気配はない。
 車内には、初老の貴族と息子である少年が乗っていた。少年は、長い旅程に倦んでいた。
「父上、レニエはまだ遠いのですか?」
「もう一晩、宿りをせねばならんね。」
 父親は無感情に答えた。少年は車窓の外を眺め
「ここは?」
と、さほど興味もなさそうに尋ねた。
「……クルジェという土地だ。」
 父は不愉快そうな顔をした。少年はそんな父を一瞥し
「休憩が欲しい。」
とため息をついた。
「走り切らねば、宿に着けないぞ。」
「この辺りで泊まればよいではありませんか?」
 父は顔をしかめた。
「次の宿は、レニエの領に入ってすぐの村だと決めている。」
 少年は鼻を鳴らし
「尻が痛い。」
と言った。
「不甲斐ないことを申すな。」
 父は苦笑した。
「身体は大切にせねばなりませんから。不甲斐ないことでも、恥を忍んで申すのです。」
 父は考え込んだ。森の遠く向こうに、クルジェの主である騎士の館が見えた。彼は馬車を止めた。
 少年はホッと息をつき、馬車から降りた。伸びをし、小姓の差し出した水で手を洗い、少しだけ水を飲んだ。
 彼はふと森の中に目を向けた。子供の歓声が聞こえたからだ。
 森へ足を向けると、小姓が止めた。
「いい。深く入るつもりはない。」
 きっぱりした言い様だった。命令をしなれている響きがあった。

 緑の葉を茂らせる木々の間、下生えを踏んで森の内へ足を踏み入れる。名も知らぬ黄色い草花がたくさん咲いていた。
 子供の声が近くなる。
 灌木の枝の隙間、木々の空いた場所に、小さな男の子と女の子が座っていた。
 男の子はくすんだ色のつぎはぎの服を着ている。農夫の子だと見えた。女の子の方は、白いシュミーズ姿だ。こちらも農夫の娘に見えた。
 男の子は、黄色い花を一心に花冠に編んでいる。出来上がると、顔を輝かせ、女の子の頭に載せた。
「ああ、きれいだ。エレナは花嫁さんになったよ。」
 射し込んだ陽に、女の子の真っ赤な髪が煌めいていた。
(燃え盛る炎のような髪……)
 珍しい髪の色に、少年は感嘆した。
「花嫁? 私はユーリのお嫁さん?」
 ユーリと呼ばれた男の子は、嬉しそうな顔をし
「そうだよ。エレナは俺の花嫁になるって約束しただろ?」
と言った。
「早く大きくなりたいなあ……。お母さまの持っていらっしゃるような真っ白な花嫁衣裳を着て、ユーリと結婚するの。」
 そんな話をしては、二人は笑っていた。
 少年は、彼女の言葉使いを聞き留めた。
(“お母さま“……。”いらっしゃる“……。農夫の娘ではないのか。)
 彼はじっくりと彼女を見つめた。
 目鼻立ちはすっきりしている。鼻に微かなそばかすがあったが、元々肌の色は薄いようだ。美しさの兆しがあった。
 更に、観察していると、男の子が肩を落とし
「でも……俺は百姓の息子だから。小さい畑しか持っていないし……。お館のお嬢さんは貰えないね。」
と言った。
「そんなことない! 真剣に愛し合っていれば、結婚できるの。」
 エレナというらしい女の子の表情は、真剣そのものだった。ユーリは曖昧な微笑みを浮かべていた。
 少年は、こっそり苦笑した。
 すると、気配を察したエレナが、彼の潜んでいる茂みを見つめた。若芽のような明るい緑色の瞳が向いていた。目が合ったような気がした。
 見つかったのではないかと思ったが、そうではなかったらしい。エレナは視線を逸らし、何事もなかったように、またユーリと話を続けていた。
(お館の娘……。ユーリの方はわかっているか。……そう。あのエレナは俺が貰う。)
 少年はにっと笑い、踵を返した。

 森の入り口では、小姓が落ち着きなく彼を待っていた。
「リオネルさま、お父さまが待ちかねていらっしゃいます。少しご機嫌を損ねていらっしゃるようですよ。」
「そう。父上はよほどレニエが恋しいらしいね。」
 父は、馬車の側に立っていた。苛々としている。
「何をしておった? ずい分長かったぞ。」
「森に可愛い妖精がいたのです。見惚れていました。」
 笑いかけると、父はいかにも不愉快だというように
「くだらぬ。おとぎ話を信じるような歳でもあるまい。」
と言い捨てた。
 父はリオネルを促し、馬車を急がせた。

 ユーリは陽の傾きを見やった。
「もう帰らなくっちゃね。」
「うん……」
 しかし、エレナは立ちつくしたまま、動かない。彼が手を引くと、驚いた顔をした。
「どうしたの?」
「何だか……さっき、そこから何か感じたの。落ち着かない何かが、そこにあった。」
 そう言って、彼女はリオネルのいた茂みを指さした。
「何かって?」
「……わからない……。でも、ドキドキする……」
 灌木の間に、何かがちらりと揺らめいて見えた。ユーリはひとつ身震いした。
「精霊? 魔? ……早く行こう。黄昏の森には、そういうのがいるって。見入られたら、きっと帰れなくなるんだ。行こう。」
 エレナはユーリに手を引かれ、何度も振り返りながら、森を去って行った。



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