13

 トゥーリは毎晩のように遊び歩いた。しかし、空虚さは埋められることもなく、寂しさすら少しも紛れなかった。
 ある時、顔見知りの公達から、公子の誕生日に祝宴が開かれると教わった。昼だけではなく、夜の宴席にも公女が出席するということだった。
 聞いた通り、招待の遣いが訪れた。
 彼はアデレードの弟であるコンラート公子とは、馬が合わなかった。あまり会いたくない。
 少しだけ考えたが、彼女がどんな様子になったかが気になって仕方がなかった。
 秋口に上京の挨拶をしたときは、衝立越しの対面だった。お辞儀をした為、はっきりと彼女の姿を見ておらず、着ていた赤い衣装の色しか見ていない。
 一年近くも、親しく会っていないのだと思い至った。感慨深かった。子供の頃は、会わない日はとても長く、物寂しく感じたものだった。
 もう訪問できない旨を伝えたとき、鼻を赤くして泣いていた彼女を思い出すと、苦笑が出た。
 少しは姫君らしくなったのだろうかと、彼は期待半分心配半分の気持ちで出かけた。

 広間の正面には、大公と公妃と公子が座っている。その奥にアデレードが立っていた。
 きっちり髪を上げて、青い衣装を着て、一年前よりも幾分背の伸びた公女は、いかにも大人らしく見えた。
 しかし、トゥーリは去年のことが思い出されて、可笑しかった。
(鼻を真っ赤にして、泣いていたくせに……)
 彼は下を向いて唇を噛み、必死に笑いを堪えた。
 彼女が、彼の様子に気づいた。みるみる膨れ面になり、睨んだ。
(やっぱり。まだ、そんな顔をするんだね。黙って立っていれば、見られるのに。)
 彼はちらちら盗み見て、更に笑いを噛み殺した。

 饗宴が終わり、卓が片づけられた。其処此処で歓談が始まった。
 トゥーリの周りには、例の奥方連中が集まった。彼女らに盛んに話しかけられて、アデレードに近寄れない。
 緩やかに音楽が始まり、踊りの輪が出来始めた。
 トゥーリは、奥方たちの誰かと踊るつもりはさらさらない。奥方たちも変な協定を結んでいるので、誰か一人が踊りに誘うことができない。
 奥方たちの相手をしながら、彼は彼女の様子をちらちら窺った。
 彼女の周りに集まっていた若い公達は、それぞれ相手を見つけて踊りの場に出てしまい、周りは姫君だけになっていた。
 彼女は、皆が楽しそうに踊るのを見ている。彼は、誰も彼女を連れださないのに焦れた。
 やがて、彼女の側にいた姫君もいなくなった。置き去りだ。つまらない顔をして、溜息をついている。
 彼は可哀想に思うと共に、腹が立ってきた。
(誰も彼も……後のお楽しみの営業をするんじゃないよ。主の娘に営業をしろよ!)
 心中で悪態をついた。
 彼は苛々と見守ったが、誰も彼女の側に来ない。悪態が増悪した。
(……ああしていると、しおらしく可愛いではないか。俺の姫さまの何が不満なんだよ。女装の俺には、後から後から、鼻の下伸ばして擦り寄って来たくせに!)  更に見ていたら、彼女が拗ねた様子になってきた。哀れだった。
(このばばあ共は……何とでも思え! もう俺が相手をするしかない。)
 彼はやっと決心して、腰を上げた。

「公女さま。」
 トゥーリが声を掛けると、アデレードはぱっと顔を輝かせた。
「あ、トゥーリ……ではなくて、ラザックシュタールさま。ごきげんよう。」
「……お久しぶりです。」
「一年ほどになりますか?」
「はい……」
 他人行儀な挨拶だった。彼がどう話を進めるべきか考えていると、背後から異様な視線を感じた。奥方たちが固唾を飲んで見守っているのだ。彼の決心は鈍った。
 二人とも黙って向き合ったまま、音楽を聴くともなしに聴いた。
 彼は早く誘わねばならないと焦ったが、照れくさかった。
 彼は彼女の遥か後ろを見ながら、やっとの思いで
「皆、楽しそうに踊っていますね。」
とだけ言った。
 彼女は意図が解らず、小首を傾げて彼を見上げた。
 彼は小さく舌打ちした。
「一番簡単なやつだよ。教えてやっただろう?」
 彼は小声で囁いて、手を出した。彼女の瞳が嬉しそうに輝いた。
 載せられた小さな手を親指できゅっと握ると、彼女の指先にも力が籠った。
 奥方連中が興奮状態で見ているのが分かったが、彼はそちらを見ないようにした。
 皆は二人に
「あら、可愛らしい。」
と好意的な目を向け
「上手。上手。可愛らしかった。」
などと褒めた。

 夜が更けてきた。大人たちは自分たちのことで忙しく、十代の二人にはおざなりの対応しかしなくなった。
 例の奥方たちは構いたくて仕方がない様子だったが、邪魔をすることはなかった。
「上手になったでしょう?」
 アデレードは自慢気だった。確かに上手くなっていた。だが、トゥーリは手放しで褒めるのはつまらないと思った。
「うん。前みたいに足を踏まなくなった分だけ。」
 彼女は、皮肉に気づかなかった。
「あれから、練習したもの。」
「そう。」
「あんたは、歩幅を合わせるのが大変そうね。」
「足の長くない姫さまの為に、三分の一歩ずつ踏んでみたよ。」
 彼が嗤うと、彼女は顎をそびやかした。
「お気遣いありがとう!」
 挑戦的な彼女に、彼はまた言い返したくなった。
「アデルはちびだから、そうでもしないとな。ごゆっくりなご成長ですなあ。」
「失礼ね! 久しぶりにやっと会えたのに、もっと感動的な素振りができないの?」
「感動しているぞ? お前の微細な成長具合にな。」
「……久しぶり。その意地悪な物言い……」
「何も意地悪は言っていない。」
「じゃあ、独特な物言い……」
「久しぶりだから、刺激的だろう?」
 彼女が膨れ面になればなるほど、彼は喜びを感じた。
「前は、毎日意地悪を聞き流していたのに、今日は非常に気になるわ。変な感じ。」
「変ではない。」
「……さっき、笑っていたでしょう? 何で?」
「つんとして立っていたから。」
「お行儀よくしていたの。」
「そうとも言うけど、俺を見て、ぷっと膨れたから、余計に可笑しかった。」
「……せっかく、一年ぶりかしら、会えたのに。あんた、私を見て笑うんだもん。腹が立ったわ。……ねえ、去年のあんたの戦勝の宴席、どうして出なかったの? 私は久しぶりに会えると思って、楽しみにしていたのに。 」
 彼には、あまり思い出したくないことだった。視線を逸らした。
「……俺は祝いなんか要らん。」
 彼女は気づかずに続けた。よほど誇らしかったのか、紅潮している。
「楽しかったのに。皆、あんたのことを褒めていたよ。幼すぎるって心配していたのに、しっかり戦果を挙げたって。頭目と一騎打ちして討ち取った手錬だって。」
「そういうおべんちゃらは沢山だよ。それに……そういう気分でもなかった。」
「あのこと……ごめんなさい……」
 彼女もようやく察して、俯き黙った。
 彼は苦笑し
「もういい。大したことではない。」
と言って、彼女の顔を覗きこんだ。
 彼女は小さく頷き、しかし我慢がならない様子で訴えかけた。
「宮宰さまが……冷酷だって。嫌な人!」
 宮宰の言うことなど、彼には想像がつき過ぎるほどだ。案の定の発言だ。彼女のように腹を立てることでもなかった。
 彼は笑い出し
「そう。俺は冷酷なのです。」
と言った。彼女は肩を竦めた。
「何の格好をつけているんだか。トゥーリは冷酷じゃないよ。でも……信じられなかった……」
「事実。そこの庭先で、ざっくり首を切った。羊みたいに。」
「……母さまはそれを聞いて、父さまに“なんてことをさせるの”って怒ったわ。父さまは“自らの失敗の責任を取ったのだよ”っておっしゃった。父さまなんか、剣を握るのも嫌いなくせに。よくお命じになれたものよね。」
「好き嫌いの入る問題ではないのだよ。俺は剣を取るのは嫌いでもない。」
「稽古は嫌いだったでしょう?」
「だって、うちの家業だもの。」
「血を見るのは嫌いって。羊をしめるのも嫌だって言っていた。」
「いつのことを言っているの? もう大人だから平気なんだよ。羊をしめるのも。血を見るのも。戦に出るのも。……手も顔も髪も血だらけになったよ。でも、何とも思わなかった。そりゃあ気持ち悪い感触ではあったよ。ただ……生き延びたかってだけ。」
 本当は怖かった。それは、彼女には聞かせられない弱音だ。努めて明るく言ってみたが、彼女にはお見通しだった。
「……嘘。怖かったくせに。怖くなって、その後擦り剝けるほど、手を洗ったでしょう?」
 彼はあっさりと嘘を認めた。
「……うん。」
「そうら。“私は動じません”って、格好をつけたかっただけよ。」
「失礼な……。でも、怖気づいた素振りを見せるわけにはいかん。俺の父さまは、勇敢だった。“テュールの猟犬”なんて渾名をもらっていたそうだから。」
「“テュールの猟犬“?」
「そう。“テュールの猟犬”。テュールが戦場に連れて行く狼犬だよ。お前、知らんのか? テュールの神話は、都の人間ならよく知っているだろう?」
「知っているわよ。でも“テュールの猟犬”は、本物の狼に斃されたわ。」
「テュールだってやられたじゃないか。」
「テュールは隻腕だもの、厳しかったはずよ?」
「テュールの左手を喰い切ったのだって、その狼だよ。 」
 彼女が黙り込んだ。何を言おうか考え込んでいる。
「言い返せなくなった?」
 彼が嗤うと、彼女は
「……満足かしら?」
と膨れ面で応えた。
「非常に。そんなわけで、父親の名声を息子が損なうわけにはいかん。……俺、父さまによく似ているんだってさ。」
「お父さまはお父さまじゃないの。トゥーリはトゥーリだし。」
 その言葉は、彼にとっては辛い言葉だった。そして、一番欲しい言葉でもある。
(俺のことを見通しているようだ……)
 嬉しい半面、切なかった。

「別人。」
 アデレードが重ねて言った。それに嬉しそうに頷くのは、何故か癪に障った。
「よく似ているから、俺のことを見ては、父さまのことを思うんだよ。」
「そう? 私はトゥーリを見て、ローラントさまを思わないよ?」
「お前、俺の父さまを知らないだろ? 父さまが亡くなった時、まだ赤ん坊だったんだ。」
「そうです。」
「……俺は、父さまみたいになりたいのだよ。剛胆で勇敢で……」
 トゥーリはまた本音を語っていた。彼女には嘘をつけないのだと知った。
「トゥーリはトゥーリでいいのではないかなあ、と私は思う。」
「力説しますなあ。」
「トゥーリは、剛胆ではないもの。」
「臆病者だって言うのかよ?」
「そうではなくて……私は、雲雀の子を拾ってきたトゥーリが好きだから。」
 子供のころの小さな出来事だった。そんなことまで覚えているのを、彼は意外に思った。
 彼女は、その出来事の、今の彼が言われたくないことも覚えていた。
「老ヤールに訊いて、育てていたでしょう? 放すとき、ぽろぽろ泣いた。そして……」
 彼女が更に何を言うのか、彼には想像がついた。聞くには照れくさすぎることだった。小さな彼は、鳥籠に残っていた羽を小箱に保存して、放した雲雀を偲び続けたのだ。
 彼は慌てて遮った。
「いらんこと思い出すな。」
「まだ、いろいろあるよ。えっと……」
 子供のころの幸せな時間は、もう返らない。懐かしく恋うことを強いられても、彼には切なく辛くなるだけだった。
 彼は、殊更自分を追い込むように
「人間の子を殺したよ。もう血まみれ……」
と言った。
「それは仕方なくしたこと。」
「もういいよ。」

 気まずい空気が流れ、二人とも黙り込んだ。トゥーリは何か言わなければと思い、下向いたまま
「……髪を上げたんだね。」
と言った。
「そうなの。ちょっと早いけれど、母さまがいいと仰ったから。」
 彼はアデレードの髪を眺め、感嘆した。
(綺麗な金髪。きらきらと灯りに照らされて、まるで黄金の塔のよう……)
 彼女が首筋に垂れた後れ毛を撫で付けた。
 彼は柔らかそうな後れ毛に触ってみたいと思った。白く細い項にぞくりとした。
 だが、その気持ちは覚られたくなかった。
「もうちょっと、何とかならんの? 今日の髪型、よく言えば大人っぽいが……本音を言えば、ばばくさい。」
 いつもの毒舌を言うと、途端に彼女はむくれた。
「意地悪!」
「若いんだから、もうちょっと……。他の女どもの先を行くようなのにしないと、立場上……」
「これでいいの!」
「また膨れる。泣きべそをかかないだけマシかな? 俺の服に水鼻をつけられては敵わない。」
「水鼻なんて出しません。」
 彼女が怒ると、彼は妙な嬉しさを感じた。もっと見たくて、また意地悪を言った。
「そうか? 一年前は出していたけどねえ。もう出なくなったのなら重畳。では……公妃さまに“トゥーリが意地悪を言うの”って言いつけるのか?」
「失礼ね。」
「お前の膨れ面、面白いな。不細工だ。」
 彼はにっと笑った。彼女は鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
「ご不興をかってしまった。退散しようっと。姫さま、ごきげんよう。いや、ご機嫌悪いんでしたな。……怒りん坊のちび助アデル……ばばくさくて……」
 彼女は、彼の胸をどんっと叩いた。
 彼は笑いながら
「痛いじゃないか。……大人っぽいお上品な髪型と、素敵なご衣裳が台無しですよ?」
と揶揄った。
「次から次へと、よくお話なさるのね! 草原の男は、寡黙でなければいけないんでしょう? “寡黙の人、内に力あり” でしょう?」
 おしゃべりな彼には、最も戒めになる草原の諺だ。そんなことを言い返すとは、生意気になったものだと失笑した。だが、言い負かされるつもりはない。
「ならば、私は“言葉を追うより、牛を追いに行く”ことにします。姫さまはもうおねむの時間でしょう。お休みなさいませ。」
「まだ起きているもん。」
「宵っぱりにおなり? ……ほら! 公妃さまがこっちを見ているよ。」
 彼の嘘を信じた彼女は、母親を探して視線を泳がせた。
 彼が嗤うと、騙されたとやっと気づいた彼女は睨んだ。
 彼は肩を竦め
「じゃあ、また。」
と、広間を出た。

 広間の扉のすぐ外で、トゥーリはしゃがみ込んで、一頻り笑った。
 ここ最近で、一番晴れやかな気持ちだった。



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