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 都の包囲は日に日に厚くなった。ラディーンのみならず、ラザックの氏族も加わっている。その内に、やはりシークがいることも知れ渡った。
 テュールセンの軍勢が帰還する期待は叶わないであろうことが、そこかしこで囁かれるようになった。
 そのような頃、ウェンリルの公子は宮廷に呼び出された。彼には億劫なことだった。予想通り、この包囲を解く方策についての相談だった。
 しかも、非常識と言っていいだろう、彼の実妹であるソラヤの命を交渉の材料として使うことを問われた。彼は唖然としたが、冷静に意見を述べた。
「ヴィーリ殿の死を聞かされた折の妹の振舞いをお忘れではあるまい。妹にはこの度の戦を留めるつもりはないであろう。アナトゥール殿も、その母の想いを理解しているはず。……命を捨てる覚悟の人質と、それを承知している者との間で、何の交渉ができようか?」
 誰も反論しなかった。宮宰は舌打ちした。
 コンラートは諸侯をずらりと眺めた。皆、俯いたままだ。
「では、あの謀叛人の妻の命をかけよう。」
 さらりと言う。
 諸侯は仰天し、一斉に厳しい目を向けた。だが、諫める者はいない。コンラートの勘気を被って、草原の軍勢の真っただ中に放り出されるのを恐れているのだ。
 宮宰だけが窘めた。
「そればかりは……まだ時期尚早かと存じます。」
 コンラートは激昂した。
「では、どうしろと言うんだ! テュールセンの軍勢は戻って来もしない。レーヴェも口ほどにもないな!」
 そう叫び、諸侯を一人ひとり指差して
「お前も、お前も……こいつらの手勢は皆、ラディーンの前で腰砕けになった。誰も彼も、何の役にも立たない!」
と憎々しげに責め立てた。
 諸侯は彼の視線を避け、首を垂れた。
「面目ない次第……」
「まったくだよ! だから、あいつの妻を使わねばならないんだよ!」
 諸侯はこっそり目を上げ、宮宰を見た。非難がましい視線だった。コンラートをこうまで助長させたのは、宮宰だと知っているのだ。宮宰は冷汗を拭った。
「大公さま。しかしながら、アデレードさまのことはお考え直し下さい。ご同胞の命をどうこうしようなど、天道に背くことでございます。」
「うるさい!」
 諸侯は目配せし合い、宮宰も手が付けられないと溜息をついた。
 ウェンリルだけは厳しく眉を寄せ、コンラートを睨んだ。
「なさってみたらよろしい。」
 諸侯は勿論、宮宰も凍り付いた。コンラートはじろりと彼を見た。
「そして何が起こるか、確かめてみるのも一興ですな。……では、私は失礼いたします。」
 彼はそう言って、深々とお辞儀をして去った。
 皆は呆然と後姿を見送り、固唾を呑んでコンラートの応えを待った。
 彼は癇癪をどうにもこうにも抑えられない様子で、拳を膝に叩きつけている。
「言っただろう? “シークの奥方”で交渉するんだ!」
 皆は項垂れた。
「かしこまりました。」
 宮宰の言葉は苦しそうな溜息まじりだった。



 城壁の上に旗が振られている。使いを出すという合図だ。
「大公さまのお使いが遣わされる。謹んでお迎えせよ!」
と大声がかかった。
 それを伝えに来た戦士を前に、二人のヤールは鼻で嗤った。
「偉そうに命令してきましたな。他人にものを頼む態度ではないですね。」
「いかがなさる?」
 トゥーリは
「勿論受け入れるよ。大公さまの“ご命令”には従わねばならんと、じいがくどいほど言っていたからね。」
と苦笑し、少し考えて
「湯を沸かしてくれ。大公さまの有難いお使いに会うには、格好を整えねばならん。」
と言って、にやりと笑った。
 二人のヤールも戦士たちも失笑した。


 ラザックの戦士が三人、門に使者を迎えに出た。彼らは出てきた法服の使いの身体を検め、トゥーリの許へ連れた。
「ごきげんよう。ラザックシュタールさま。」
「おや? まだそう呼ばれているのか? 既に侯爵は辞めさせられたものとばかり思っていた。」
 そんなトゥーリの煽りには応えず、使いは書状を差し出した。

“ラザックとラディーンのシーク、アナトゥール・ローラントセン。この度の汝の仕儀、許し難し。
 万死に値する仕儀ではあるが、情け深いことに大公さまにおかれては、何人にも誤りはあると思し召され、汝に自らを省みる機会をお与えになった。
 畏れ多くも大公家が汝が一族に与えてきた幾多の恩顧を何と心得るか? よくよく鑑みよ。
 さすれば、汝の成すべきことが唯ひとつであると解るはずである。”

 トゥーリは薄く笑い、二人のヤールに書状を示した。
 読み終えた二人は顔を見合わせ、やがて大笑いした。
 トゥーリは慌てて制した。
「おい! 止めんか。真面目な話だぞ。至極真面目な……」
 そう言いながら彼も、失笑を堪えきれなかった。
 使者は不愉快そうに唸り、その様子を眺めている。
 ラディーンのヤールは使者を指さし
「こいつの首を返事代わりに大公さまに送りましょうよ。」
と言って、剣の柄に手をかけた。
 使者は青ざめた。
 ラザックのヤールは、冗談にすら怯える使者を嗤った。
「ラディーンの。それはならんわ。第一、誰が首を持って行く? そんな阿呆な使いを命じられんぞ。」
 ラディーンのヤールは腹を抱えて笑った。
「そうだな! 誉れ高き戦士には到底させられぬくだらん仕事だな!」
 使者は目を白黒させて聞いていたが、ひとつ咳払いをして居住まいを正した。
「大公家の大恩をお忘れなきように。」
 尊大な調子で、胸を反らせている。
 トゥーリはきらりと瞳を光らせた。そして高笑いした。
「俺は物覚えには自信があるぞ。大公家から受けた大恩も諸侯から受けた恩も、事細かに覚えている。大恩というのは……しかし、塩辛いものであるなあ。時に渋かったり苦かったり……。おお! 酸っぱい時もあった。」
 ヤールたちはけらけら笑ったが、使者は当然渋い顔をしている。
「……あなたが今あるのは誰のおかげか、思い起こされるといい。ご同族の皆さまもね。」
「誰のおかげ?」
「木の股からお生まれになったわけではありますまい。」
「父と母からだよ。その他の生まれがあるの? お伽話以外でだよ?」
 のらりくらりと話を茶化すトゥーリの物言いは、使いの気分を充分過ぎるほど損なっていた。
「ございません。“襁褓のシーク”がお子を生されたから、今のあなたがあるのです。また、お子を生されるまで成長できたのはどうしてなのかお考えあれ。皆さまも同様ですよ。」
 二人のヤールも側の戦士たちも顔色を変えた。常にこの事を盾に無理を強いられてきたが、この期に及んでまだ通用すると思っているのかと、怒り心頭に発す思いだった。
「立場か!」
 怒声と共に、何人かが剣を抜いた。使者は手を振り、後ずさった。
「皆、止めよ! 剣を収めよ。」
 トゥーリは皆に頷きかけた。
 皆ぶつぶつ言いながらも控えた。
「“襁褓のシーク”を保護してくれてありがとう。では、問う。古の王国の王女とロングホーンの最後のシークが結ばれたのはどうしてか? 確か、王国は侵略され、王女とロングホーンのシークは絶体絶命の危機にあったと聞いたぞ。どうやって生き延び、現在の大公家に繋げたのかな?」
 使者はそれには答えず
「即刻兵を引き、恭順の意を示すように! さもなくば……」
と言ってねめつけた。
 トゥーリは小さく笑った。
「さもなくば? はっきり申せ。」
「あなたの奥方を城でもてなしております。」
 彼はその言葉から多くを悟った。
(いきなり“本丸”ですか……)
 使者の挙げたのは、彼が案じている内で真っ先に挙げるだろう人物ではない。
 ソラヤもアデレードも大公家を出自としている以上、人質として用いるのは難しい決断を強いられる。交渉が決裂し見せしめに殺すとなれば、後のコンラートの治世に影を落とすだろう。
 コンラートが躊躇なく命を奪うことができ、諸侯が何ら批難しないであろう者はミアイルである。ところが、使者はミアイルの名も出さないばかりか、存在すら頭にない様子である。
 ミアイルは少なくとも、大公の手に渡っていないのだと思った。そして、草原に戻っていないことから、都の内に匿われているのだと考えた。
 軽薄にも思っていた伯父の思いがけない胆力に、彼は感じた。
(ヘルヴィーグさま、感謝いたします。)

「そうか。酷い目に遭っていないことを祈るよ。」
「あなた次第ですよ。」
「彼女は今や都そのものだ。命を失えば、都は終焉を迎える。」
「都の壁を破るおつもりですか? 固いですよ?」
「大昔に入江の民どもに破られたではないか。破れないことはない。」
 使いは鼻を鳴らした。
「大公さまにありのままをお伝えいたします。さぞかし厳しい処遇を受けるでしょう。奥方さまとご母堂は。」
 トゥーリはほくそ笑んだ。
(やはり、ミアイルは手にしていないのだね。)
「二の息子の死に、耳を切り落とす母だ。一の息子の為に命を惜しむといいね。」
と言って笑いかけた。使者は憎らしそうに睨んでいる。
「そして奥方だが、さっきも申した。……彼女に何かあれば草原の怒りは沸騰し、都のみならずロングホーンの全てを焼き尽くすだろう!」
 怒鳴り声に使いは気圧され、無言で去った。
 トゥーリは二人のヤールに低く命じた。
「肩の強い弓の使い手を一人。」
 二人は表情を厳しくし頷いた。

 ラザックのヤールが一人の若い戦士を呼び出した。
 年の頃はトゥーリと同じほどだ。大きな鷲鼻、厚い唇、窪んだ眼窩の中の榛色の瞳は鋭い。日焼けし、筋骨隆々としている。特に肩や腕の筋肉が盛り上がり、撫肩にさえ見えた。
「カラダーグ・フォドルセン。」
 戦士はうっそりと名乗り、お辞儀した。
 トゥーリは頷きかけ、騎乗した。
 そして、一気に城壁に駆けた。
 最前線で固めている戦士たちは驚いたものの二人を通し、攻撃に備えた。
 使いが今まさに門に入っていこうとしている。それを見届け、トゥーリは大声で叫んだ。
「壁の中で驕る豚共! 頼りの壁がいかなるものか知るがいい! その壁は竈の壁だ!」
「カラダーグ! 射よ!」
 矢は炎で高く放物線を描いた。次の一矢は低く走り、扉に深く刺さった。じりじりと音を立て、扉を黒く煤けさせている。
 壁の上を走る衛士が見えた。カラダーグはその一人を射落とした。
 周りの戦士たちも火矢を用意し始めたが、トゥーリは留めた。
「もうよい。」
「都を焼くおつもりでは?」
 彼は苦笑し、首を振った。
「いや。」
 カラダーグは残念そうに弓を下ろした。
 トゥーリはその弓を受け取り検めた。
「すごい強弓だな! 余程の肩でなくては引けない。俺は一矢でもう無理だ。」
 カラダーグは照れ臭そうに笑った。
「牛を吊り上げますから、自然とそうなりました。」
「一人で吊るのか?」
「はい。強い肩だと、氏族のヤールに褒められます。」
「なるほど。強肩のカラダーグ。大儀。戦が終わったら、馬をやろう。どんなのがいい?」
「ラザックの馬。気性のいい、騸馬ではない雄。」
「解った。」
 カラダーグは目を輝かせ、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!」


 ウェンリルの公子の屋敷に、二人の弟が集った。
 城での顛末は知っている。その後の、使いとトゥーリのやり取りを聞き、三人は溜息をつくしかなかった。
「前々から侯爵を敵視し過ぎだと宮宰には申していたが、最悪の事態を招いた。宮宰は遠ざけねばならんと思う。兄上はいかが思うか? ヘルヴィーグは?」
 ガラードが問いかけた。兄のウェンリルは腕組みして考え込んだが、ヘルヴィーグは直ぐに考えを述べた。
「こうなったからには、コンラート殿を大公に頂くのも無理が出てこようというもの。ご退位願って、若君を位に。誰かしら然るべき者に支えさせて、国を立て直すべきだと思う。」
 二人の兄は渋い顔でヘルヴィーグを見つめた。とはいえ、兄たちも同じ気持ちである。
 ウェンリルは顔を歪め
「それもこれも……戦の決着如何によっては……」
と言葉を途切れさせた。
「どう和議に持ち込むか、それすらも目途がつかない。草原の要求をかなり呑まねばならんのは確かだな。これまでのように、大公家の許に国がまとまるのかさえ……」
 ガラードの言葉に、二人は苦しそうに頷いた。
 それからは、三人ともが物思いに沈んだ。
「王手です!」
 突然の大声だった。三人ともびくりと震え、声のした方を見た。

 続きの間の奥で、ギネウィスが若い側仕えを相手に将棋を指している。彼がギネウィスの王を追い詰めたのだろう、自慢げに胸を反らしている。
 ギネウィスはくすくす笑い、駒を動かした。
 彼は慌てて盤面に近づき、食い入るように見つめている。
「あなたの手もあざといわね。でも、あなたの王は女王に討ち取られたわ。」
「女王は……」
「忘れていらしたの? ……この世の中は、裏で女が操っているの。」
「……投了です。」
 彼はあっさり負けを認め、陽気な笑い声を挙げた。
「もう一度なさる?」
「ええ。勿論。」
 彼女は苦笑した。
「素直ね。そういうところは少し違うのね。」
 彼は怪訝な顔をしたが、直ぐに気を取り直し盤面に駒を並べ始めた。

 ヘルヴィーグはその様子を眺めて微笑んだ。
「ああしているのを見ていると、戦時下であることを忘れてしまうよ。」
 ガラードは苦笑した。
「“テュールの猟犬”そして“ラザックシュタールの狂犬”……ローラント殿はどちらにしろ、主の為によく働く“犬”だった。しかし……」
 言葉の半ばで、ウェンリルが引き取った。
「三人の息子の内、一頭は狼だったというわけだよ。」
「我々は長角の山羊だ。狼に狩られる身の上だな。」
 三人は小さく笑った。諦めたような乾いた笑い声だった。

 “側仕え”は、三人の公子が笑っているのを不思議そうに眺めた。包囲されているというのに笑う気持ちが解らない。
 それでも、彼とてこうしていると戦の最中だとは信じられないのだ。
 ウェンリルの屋敷に連れてこられ、ギネウィスの側に仕えしばらく経ったが、彼の生活はほとんど変わらない。ただ、今までのように外出できないだけである。
「これから、あ……シークは都をどうするおつもりなのだろう?」
「あの方は、戦争をなさっているのよ? ……そう申し上げれば、お解かりでしょう。」
 彼は目を見開きギネウィスをまじまじと見つめた。彼女は落ち着き払って、微笑んでいる。
 戦況が草原の利に動けば、ここにいる皆の境遇は激変する。三人の公子もギネウィスも、既に覚悟を決めているのだ。
 そう察した彼は、身を抱き締め、ひとつ身震いをした。
「寒いの?」
「首周りがね……髪を切ったから。」
 彼は刈り上げられた首筋を撫でた。




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